关于终助词ね」「よ」「よね」的使用状况-以学习日语的韩国人为对象_日语外文翻译
译文
在日语会话中终助词的有着很大的作用,对于学习者来说使用合适的终助词,对构筑顺利沟通是必不可少的。但是(大曾1986)说,相比其他的项目,实际授课几乎没有被指导的时候,教科书的说明也不够。因此,很多学习者来说终助词,有必要自己学习授课以外语法项目,也可以说比起其他的输入语法项目更容易受到影响。终助词的学习迄今为止的以「ね」为中心推进,因此在「よね」内考察的东西很少。Sawyer(1992 )、初鹿野(1994),横断的观察了「ね」作为初期阶段语言的聚合物的一部分被学习,其他的终助词更快被掌握明确了。但是没有分析自然发话的数据这个点,分析的时候没有和母语说话者比较这个点,举例提出关于终助词「よね」的问题完全没有被提及。李(2001)再议论中观察使用了「ね」「よ」「よね」,对韩国人日语学习者和日语母语者之间的差异进行了考察。然后,对学习者来说,一边考虑对方,一边陈述主张自己的立场是不容易使用よね」的。但是,像这样的议论也有特殊的场面,没有以学习者的自然的表达对象。终助词「ね」「よ」,到现在为止各种各样的视点研究了。代表性的研究,神尾(1990)是“信息领域理论”,主张提示信息说话人与听话人的哪边的领域张力属于哪个,陈述选择「ね」或者「よ」被决定的。莲沼(1995)分析了「よね」“唤起共识”“相互了解的形成”「よね」的用法的,伊豆原(1993),对类似的「ね」和「よね」相比,“对考虑到听话人”“说话人的不确定度的表明”“对听话人确认用「よね」的。另外,益冈(1991)在终助词ね」「よ」和“礼貌”的语气関考察,说终助词「ね」「よ」更容易适应普通体的句子。
日语论文:http://www.rylww.com/paper/sort01/list_2.html
原文
終助詞「ね」「よ」「よね」の使用状況 ―韓国人日本語学習者(JFL/JSL)を対象に―
日本語の会話において終助詞の果たす役割は大きく、学習者にとって適切な終助詞の使用は、円滑なコミュニケーションを築くために不可欠である。(大曽 1986) しかし、実際の授業では他の学習項目に比べてほとんど指導されることがなく、教科書の説明も不十分である。そのため、多くの学習者にとって終助詞は、授業以外の場で自ら学習していくことが必要な文法項目であり、その他のインプットの影響をより受けやすい文法項目であるとも言える。終助詞の習得はこれまで「ね」を中心に進められてきたため、「よね」を含めて考察したものは少ない。縦断的に観察した Sawyer(1992)、初鹿野(1994)は、初期の段階において言葉のかたまりの一部として「ね」が習得され、他の終助詞よりも早く習得されることを明らかにした。しかし、自然発話データから分析していない点、分析の際に母語話者との比較がない点、終助詞「よね」について全く言及されていない点が問題点として挙げられる。 李(2001)は議論の場で使用される「ね」「よ」「よね」を観察し、韓国人日本語学習者と日本語母語話者との違いについて考察した。そして、学習者にとって相手に配慮をしながら、自分の立場を主張する「よね」の使用は容易ではないと述べた。しかし、これは議論という特殊な場面であり、学習者の自然発話を対象とはしていない。終助詞「ね」「よ」は、これまで様々な視点から研究がなされてきた。代表的な研究として、神尾(1990)は「情報のなわ張り理論」を提示し、情報が話し手と聞き手のどちらのなわ張りに属しているかによって、「ね」か「よ」の選択が決定されると述べた。 「よね」を分析した蓮沼(1995)は、「共通認識の喚起」「相互了解の形成」が「よね」の 用法であるとし、伊豆原(1993)は、類似した「ね」と「ね」を比較して、「聞き手への配慮」「話し手への不確かさの表明」「聞き手への確認」が「よね」にはあるとしている。 また、益岡(1991)は、終助詞「ね」「よ」と「ていねいさのモダリティ」との関わりについて考察し、終助詞「ね」「よ」は普通体の文のほうがなじみやすいと述べている。