译文
战后,并没有实际体验过幕末维新时期的人们,在大众文学中构建出了各自脑海中的幕末维新,而司马辽太郎则将一直以来背负着“恶人”形象的新選组,特别是土方的形象进行了颠覆。他不仅仅为新選组和土方进行了‘复权’,还给与了新選组以新的形象,定义,将一直以来对新選组的固定单一视角多样化了。那么,司马先生究竟是如何构建新選组的形象的呢。
在山南事件上,土方扮演‘恶人’的角色。而在《燃烧吧剑》中,山南的脱队成为了引出土方的‘真心话’的契机。在山南脱队后,土方对冲田吐露了心中所想。将局长近藤放在‘神佛一般的高座’上,身为副长的自己则负责接受所有的憎恶,这样才能保证‘乌合之众’组成的新選组不会四分五裂,而一旦‘副长因为在意队士们的评价而讨好迁就他们’,局长的近藤就变成下达‘不讨喜命令’的角色,‘组织就会四分五裂’——这是司马先生笔下,扮演着‘冷酷执法者’的土方的内心想法。
司马先生从参考的两部史料——《三部作》和《篱阴史话》中,读取出了两种不同的土方的形象。(前者是冷酷的执法者,后者是有人情味的角色)。他因此得出了一种新的土方的形象,一个表面上冷酷无情,本质却还是有着人情味的人物。早在《燃烧吧剑》之前,池波正太郎的作品《色》就侧重描写过土方有人情味的一面,但是不同于司马先生的作品中塑造的混合着人情味与冷酷无情的角色,他只将笔墨着重于土方的‘人情味’的一面。
野口武彦指出,司马先生的《燃烧吧剑》将‘传统的土方形象颠覆一新’,“如果作品中的土方仅仅只是做为新選组的经理人一样的存在的话,恐怕没有如此高的大众人气吧。对当时的读者而言,如此冷酷无情的土方,最后在箱馆郊外的战场上以‘剑客’的身份战死的结局,可谓非常符合‘男人的美学’。”
事实上,土方是在指挥部下的中途被流弹击中而死的,司马先生将此转变为了,‘以新選组副长土方岁三之名’一骑当千杀入敌阵,最后被复数的子弹击中而死的场面。‘他创造了日本史上空前绝后的独特的组织——新選组,让它在历史舞台上活跃,甚至是超乎想象地大显身手,只为这个目标他死而后已’。这样的土方,怎么可以是被没有特定狙击目标的‘流弹’击中而死呢。所以司马为了自己所创造的土方形象,将史料中的事实美化成了相符合的场面。
尽管《燃烧吧剑》让组织幕后的土方得到了众人的关注,但它并没有过多描写土方以外的队士。局长的近藤勇,被描述成了一个被动的角色,他意识到自己的局长形象是被土方所创造出来的,在最后投降于倒幕军。而一直跟随着土方到戊戌战争结束的队士相马主计,则被塑造成了一个在戊戌战争中途逃走的‘不名誉’的角色。不过,在另一本记载了新選组的零星琐事的《血风录》里,不仅深究了近藤的内心,还详细描写了忠诚于职务的监察山崎丞,洒脱的三番队队长斋藤一,倒戈于倒幕派的五番队队长武田观柳斋,得不到拥戴的七番队队长长谷三十郎等等,以干部为主的队士的性格。从这点看来,《燃烧吧剑》和《血风录》算是相辅相成的作品。
但是,在《燃烧吧剑》中,冲田总司却例外被赋予了一个鲜明的个性。司马先生提到近藤·土方故乡的‘生而俱来的斗争心,反抗心’时表示,‘一开始,这股野性让我觉得是黑暗的一面’,因此‘我按照自己所构想创造出来的这个叫冲田总司的年轻人,就如同开道的斧头一般,让我能够踏入这片黑暗的森林’。所以冲田是当他涉及到新選组成员们的‘黑暗面’时的‘救赎’般的存在吧。《燃烧吧剑》中的冲田,被山南评价为‘神佛派遣到俗世来的童子’,他也是土方唯一能够诉诸心声的存在。《血风录》中的他也被描写成‘完全没有剑术修行者普遍都有的偏执’,‘无欲无求’的青年。不同于近藤或者土方,冲田没有照片留存下来(他的长相都由后世人想象)。再加上他夭折于肺结核这点,早在司马先生以前,就有作品将他描写成‘美剑客’。《燃烧吧剑》里也强调了冲田的出色长相。‘因为教养好,他的遣词用句也很礼貌。有着想让人收为娈童的美貌’,此外还附加上了‘无欲’‘赤子’这种无邪少年的形象。司马先生笔下的冲田,因为浓厚笔墨下他的开朗,而让其夭折于肺结核的命运显得更加悲剧性了。在子母泽先生的著作中,冲田不仅是个‘开朗,总是玩笑不断’的人物(《遗闻》),他也有过抓住做了坏事的队士的手腕,‘将其甩出十几尺远’后,捏住他的后脖颈,将对方的脸按在榻榻米上来回拉扯的粗暴行为。但司马先生删减了冲田这样的侧面,只将他‘开朗,总是玩笑不断’的一面扩展开来。
原文
新選組像の構築―土方歳三と沖田総司の発見
戦後になると、幕末維新時期の非体験者が、大衆文学などでそれぞれ自分の幕末維新像を構築していくことになるが、司馬遼太郎は、新選組のイメージ―特にその中でも「悪役」とされた土方のイメージを一転させる。単に新選組や土方の「復権」を行ったというだけではなく、新選組に新たなイメージ、解釈を付与し、固定化されがちであった従来の新選組に対する視点を多様化されたという役割も果たしていた。では、司馬はどのように新選組像を構築したのか。
山南に対し、土方を「悪役」とするように演出していた。一方「燃えよ剣」では、山南の脱走が、土方の「本音」を引き出す契機となっている。山南脱走の直後、土方は沖田に向かって心中を次のように明かした。隊長の近藤を「神仏のような座」に置き、副長である自分が「すべての憎しみをかぶる」ことで、「烏合の衆」としての新選組を「ばらばらに」させないようにしている、「副長が、隊士の人気をきにしてご機嫌とりをはじめるときに」、隊長の近藤が「にがい命令」を下すようになり、「隊はばらばら」となる――これを、(冷酷な粛正者)である彼の本音として、司馬は提示したことになる。司馬は、参照した二つの史料――「三部作」と「籬陰史話」――から浮かび上がってくるそれぞれ異なった土方像(前者は冷酷な粛正者、後者は人間的な人物)から、(冷酷非情を演じていた人物)と土方をとらえ直すことで、根本は人間的な人物という土方のイメージを構築したのであろう。土方の人間的側面に焦点を当てたものとしては、池波正太郎の「色」という作品が「燃えよ剣」より前にあったが、土方の「人間性」のみが焦点化され、「人間性」と「非情」を混合させた司馬の人物像とは異なっていた。
野口武彦は、司馬の「燃えよ剣」が「伝統的な土方像を一新」したことに触れ、「作中の土方がただ新選組のマネージャーであるだけだったら、あれほど大衆的な人気はえられなかったろう。その冷徹な土方歳三が最後に「剣」の人として箱根郊外の戦場に斃れる結末が、当時の読者にはたまらぬ「男の美学」だったのだ」と指摘する。実際の土方の再期は、部下を指揮する途中で流れ弾に当たって戦死したとされているが、司馬はそれを、「新選組副長土方歳三」と名乗って、単身で敵陣に斬りこみ、複数の銃弾を受けて戦死する場面に作り変えた。「新選組という、日本史上にそれ以前もそれ以後にも類のない異様な団体をつくり、活躍させ、いや活躍させすぎ、歴史の無類の爪あとを残しつつ、ただそれだけのためにのみ自分の生命を使い切った。」土方の最期は、特定の人物を狙っていない「流れ弾」で戦死したことにするわけには行かなかったのだろう。司馬は、自分の創造した土方像にふさわしくするために、史料に記された事柄を「美化」したのである。
「燃えよ剣」は陰の存在であった土方に脚光を当てた作品であるが、逆に、土方以外の隊士に焦点をあまり当てなかった作品でもある。局長の近藤勇は、局長としての自分が土方に作られていた存在であることに気付いて、最後に倒幕軍に投降していく受動的な人物となっている。戊辰戦争終結時まで土方に従った相馬主計という隊士に到っては、戊辰戦争の途中で脱走したという「不名誉」な挿話が創り上げられた。一方、新選組の断片的な挿話を綴った「血風録」では、近藤の内面が掘り下げられている他、職務に実直な監察方の山崎丞、飄々とした三番隊組長の斉藤一、倒幕派に寝返る五番隊組長武田観柳斉、人望が集まらない七番隊組長長谷三十郎だど、主に幹部職についた隊士たちの性格が詳細に描かれる。その点で「燃えよ剣」と「血風録」は、相互を補完しあった作品であると見ることができる。
しかし、「燃えよ剣」の中で、沖田総司には例外的に強い個性が与えられた。司馬は近藤、土方の故郷の「生まれついての闘争心、反抗心」に触れ、「その野趣は、最初はひどくグロテスクなものに感じました」と語り、「沖田総司という若者を、自分なりにこうだろうと思って創ってみたのは、このグロデスクな森に自分が足を踏み入れてゆくための、道作りの手斧の役のつもりでした」としている。自分が新選組構成者たちの「グロデスク」なところに踏み込み際に、「救い」を与えてくれる存在として沖田をとらえていたのであろう。「燃えよ剣」の中の沖田は、山南に「神様とか諸天とかがこの世にさしむけた童子」と評価され、土方が唯一心を許せる存在となっている。「血風録」でも「剣術錬磨者にありがちな偏執的性格をいささかももっていない」「無欲すぎる」青年とされた。近藤や土方と異なり、沖田は写真が現存していない(容姿は後世の人間の想像力に委ねられる)。さらに、結核で夭折したということも相俟って、司馬以前から、彼を「美剣士」とする作品は存在した。「燃えよ剣」でも「育ちがいいから、言葉がいい。ちょっと色小姓にしたいような美貌である」と沖田の優れた容姿が強調され、されに「無欲」「童子」という少年のように無邪気なイメージを付与された。司馬の沖田は、明朗であることが強調されるために、結核による夭折という彼の運命がより悲劇的なものになる。子母澤の著作で伝えられる沖田は、「何時も元気で、戯談ばかり云っている。」(「遺聞」)人物である一方で、不詳事を起こした隊士の腕首を押さえて、「二三間も突き飛ばし」、襟首をつかんで畳の上に顔をこすりつける(「遺聞」)荒々しい人物であったが、司馬は、沖田のそのような側面を削除し、「元気で、戯談ばかり云っている」箇所のみを膨らませたのであった。