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中日茶道的比较研究-以千利休与陆羽之比较为中心[日语论文]
日本と中国の茶道の比較研究―千利休と陸羽の比較を中心に
摘 要
中国的茶史可以上溯到神农氏。唐代陆羽的《茶经》在很长时间里对世界产生持久影响。那时饮茶活动就逐渐从王公贵族普及到平民百姓。经过宋、明两代茶道发生了很大变化。茶道从茶叶的改良、茶具的发展到茶道思想的完善逐渐成为今天的样子。
在廉仓时代高僧荣西将茶的种子赠与位于京都梅尾高山寺的名惠上人之后,斗茶发展起来。之后,村田珠光、千利休、丰臣秀吉等人改革了茶道,使之成为日本特有的文化艺术。
中日茶道因本国历史文化差异的原因,在茶具,茶礼,茶道思想和美意识等方面有很大的差异。
千利休和陆羽对中日茶道的发展产生了深远的影响,本文将以千利休和陆羽茶道的异同点的比较文中心,研究中日茶道的异同点。
陆羽的《茶经》可以称得上是中国茶道从实用性转为精神文化性的转折点,而在日本历史上利休则是将茶道从精神文化逐渐的变得实用化。利休茶道的形式也没有陆羽的自由,必须遵循严格的形式。陆羽茶道的核心思想是儒家思想,而利休的茶道的心得则是“七规四则”。
关键词:茶道 千利休 陆羽 比较 斗茶
要 旨
中国の茶を飲む歴史は神農に遡り、長く世界に影響を与え続けている。中国茶に関する著作に唐時代の陸羽が書いた『茶経』がある。その時からお茶を飲む行為が確認されるが、それは次第に王候貴族から一般の庶民へ広がっていった。宋時代と明時代を通して茶道は大きく変化し茶の葉の改良、茶器の発展、また茶道思想の完備を経て、今のようになった。
日本では鎌倉時代に栄西がお茶の種を京都・栂尾高山寺の明恵上人に贈り、闘茶が発展し始める。その後、村田珠光、千利休、豊臣秀吉などの茶人が茶道を改革して日本独特の文化芸術となった。
中日の茶道には自国の文化や歴史の影響により異なるところが数多くある。たとえば茶具、茶道の儀礼と思想また美意識などの方面で違いが見られた。
千利休と陸羽が中日の茶道の発展に大きな影響を与えたが、本論では主に千利休と陸羽の茶道の儀礼と思想の相違点を明らかにし、その相違点から中日茶道の相違点を明らかにした。
陸羽の『茶経』は中国の茶道が「実用」から「精神文化」になった転換点に位置づけられた。日本の茶道の歴史は逆で、千利休は茶を「精神文化」から「実用」化させた。それに、利休の茶の湯の儀礼は陸羽ほど自由ではない、複雑な儀礼を守らなければならない。陸羽の茶道の核心思想は儒教思想をもとにした「倹」であるが、千利休の茶道の心得には、「四規七則」があることがわかった。
キーワード:茶道 千利休 陸羽 比較 闘茶