日本のドラマ「蛍の光」を見て、「干物女」と言われる女主人公について深い興味を持ってきた。「干物女」といえば、伝統的な良妻賢母の観念を持っている女性とは違って、だいたい職場ではOLらしさを装っているが、プライベートではだらだら生活をして、気のままな一人暮らしを満喫している女性のことである。基本的には20後半~30代の女性で、すっかり恋愛から遠ざかるので、「負け犬」だと言ってもまちがいはない。「干物女」現象の現れた原因を明らかにするために、色々な面から考察しようと思っている。そこで、インターネットなどを通して資料を捜し、関連文献を読んできた。以下は、読んできた代表的な文献のまとめである。
まず、『日本文化談義』という本の中の一章である「女余り」について簡単に紹介する。この文章に、「現在、女性の結婚観が変わりつつある。日本において女性の社会進出は確実に増えて、この女性のキャリア化より元来、家庭中心であった女性の生活が社会中心に変化してきた。また、女性が経済力をつけたことで、結婚相手に対する条件を高く設定して妥協を許さないという人もあり、日本人女性にとって結婚難はひどくなる一方なのだ。」という段落がある。確かに、製造業や建築業が衰退して、日本の男性はもう就職の寵児でなくなった。と同時に、教育や医療保健など女性を主力としての業種がどんどん増えている。だから、女性自身は経済力が強くなって、生活に自由感やよりよい標準を求めるのは当たり前である。
女性は新しい時代思潮の中で、ロマンチックを求め、自由を楽しむ意識が強くなる。女性は社会地位が上昇しつつあるとともに、婚姻にも自分の考えも持って、人生の目標を明らかにする。それは「女余り」の肝心な原因だと思う。また、「女余り」の列に、プライベートはぐうたらな生活を満喫する人は「干物女」に分類できる。しかし、すべての「女余り」現象が干物女のせいだとは言えない。
次は、『干物女の下流生活』という文献であるが、これは日本の社会観察学者である三浦展の「下流社会」の概念を引用し、干物女の生活観を検討したものである。三浦展の『下流社会―新たな階層集団の出現』の名作で、「若い世代は次から次へと下流社会に加入する。最大の特徴は低収入だけでなく、交流能力・生活能力・仕事意欲・勉強意欲・消費意欲のすべては下がることだ。つまり、全体生活に熱情がないという意味だ。」という段落がある。作者はその段落を引用し、「干物女そのような下流生活をしている。多くのことに関心を持っていない干物女は気にするのは自己の気持ちだけだ。その人は自己主義で、前向きの姿勢にならなくて、干物のような気楽な下流自我を求めるものだ。」という結論を出した。しかし、干物女がどんな状況でもだらけて生活するのを求めるという観点には賛成できない。
「干物女」は気楽な生活するばかりではない。昼間は身なりもしっかりしていて、こつこつと仕事に励んでいる。八時間の出勤時間と二時間の通勤時間を除いて一日の時間はあまり残っていない。だから、「干物女」はその残りの時間を大切にして、徹底的にリラックスするのである。休日はほとんど寝て過ごし、高校時代のジャージーを着て寝転がり、缶ビールを飲むなどは自己主義ではなく、活力を蓄えることである。休日は自分の家でゆっくりマンガを読み、音楽を聴き、化粧をかけなくてハイヒールをはかないのは「干物女」にとってこれより幸せなものがない。現在の日本では、20代~30代のOLは大変なストレスに耐えなければならない。男に持てられなくて、年齢の関係で失業の圧力も日増しに増えていて、息苦しい雰囲気での女性たちは適当な方法を通してリラックスするのは無難であろう。
また、『なんと君が干物女だったか』という文章には、千名の女性にサンプリング調査し、自分が干物女だと思っている率は48.2%で、44.4%の女性は自分が干物女になる可能性があると思っているという記述がある。また、文章には三つの干物状態やその特徴を紹介している。一つの状態は、干物女自身がその中に楽しさもあって、違和感がなければ、その干物状態は比較的に理想的で、心配で気をつけなくてもいいという状態である。もう一つの状態は都合に迫って一人で暇をつぶすよりほかない状態である。心から他人と親しい関係を築こうにもしない人は気をつけるほうがいい。なぜかというと、このままいけば、生活がひどくなる一方、精神的にもうつ病になる可能性があるからである。三つ目の状態は、その状態を短期の過渡期として、自己調整の手段としている状態である。その状態は積極的にやってみるに値するが、ただ、タイミングをつかむのが大切だそうだ。
最後に、『「干物女」の分析』という論文には、「干物女」の起源・意味・性質・形成背景についての分析がある。この論文の最大の特徴はいくつかの実例を挙げて、流行語である「干物女」の文法性質の分析を中心にしたもので、「干物女」の現象分析を中心にする私の論文とはちょっと違うが、大切な参考価値を持つものだ。
以上は読んできた代表的な文献であり、ほかには一々詳しく述べない。要するに、「干物女」はまれな現象ではなく、普遍的な傾向である。「干物女」は状態が様々あって、その心理や対策も別々に考えなければならないと思う。「干物女」は、なんの関心を持っていない自己主義ではなく、自己充電の行為だと思う。「干物女」になる最大の原因はストレスだと思う。その「干物」の状況を正視しなければならない。