この文章は用法表現と文化二つの方面から、「すみません」と「对不起」について簡略に述べる。「对不起」より、「すみません」の使用頻度が高い、意味も多い。ことを誤るときだけでなく、感謝やあいさつをするときなどの場合で「すみません」もよく使われる。次に、作者は文化の違いがこの二つの単語の用法表現の違いの深い原因だと述べた。たしかに、日本人は他人に迷惑をかけることがすきではないと思う。「すみません」は日本社会での互いに譲り合うことばや心を広くもって我慢することや礼儀正しい言動で人に接することなどの世渡り哲学を反映している。「すみません」も矛盾を避けて、民族自制心を表す。そして、中国人と違って、日本人が「恩」のことをとても重視する。相手から恩を受けたら、恩返しをしなければならない。「すみません」は、そのとき相手の恩を受けるからこころから感謝と不安な気持ちを表す。「すみません」は日本人が恩情と債務のバランスを保持する特有な文化と心理のことばの象徴である。ことばと文化は互いに補い合い、協力し合う。
『从日语的道歉用语看日本人的文化心理』 刘喜萍
この文章を読んで、日本語の謝罪のことば遣いが多いだけでなく、形式化になったのがよくわかった。「すみません」はさまざまな違い場合で言われて、その本来の意味を失って、ただよい人間関係を維持するために使用したことばになった。しかし、謝罪のことば遣いは対人関係の潤滑油で、互いに理解することに有利である。日本人は今までずっと、全体の調和と集団意識を重視していて、他人の立場から考えることを主張している。だから、例えば、「ありがとう」は自分が収益する立場から感謝を表すとき言ったことばだが、「すみません」は相手の気持ちを考えて感謝したことばである。こんな他人の心情を感じとることばは日本人の中で人気がある。
『论日语“すみません”的文化价值』 桑凤平
この文章は「すみません」の意味と使う場合を通じて、「和を以って貴しを為す」と「民族統一」の文化価値を表す。「すみません」は実際の使用のなかで、その意味が絶え間なく広くなり、内包もますます深化し、人間関係の中の特別な存在になる。日本人はいつも謝罪するとき、「すみません」を言うのは、彼らが自分のせいで相手にどんな影響を及ぼしたかを考え、心から謝り、先に相手の立場に立っていろいろなことを考慮するからである。こんなことが私はよくわかった。最後に、「すみません」も上と下の関係をあらわす。謙虚な人にして、他人を尊敬し、交際の中できっと自分に有利だと思っている。もしなにかが誤っていて、自発的に相手に謝罪したら、一般的許されるかもしれない。だから、「すみません」はある場合で必要だと思われる。
『浅谈日语常用语「すみません」』 戴丽
この文章は「すみません」の語源、意味と文化区別を書く。「すみません」の意味は謝罪や依頼や感謝やお呼びなどがある。つまり、使用場合の違いによると「すみません」の意味とニュアンスも違う。ことばは柔軟性があるのを文章で説明した。そして、日本と欧米の文化差異によって、簡単に述べた。コミュニケーションと文化が切り離せなくて、日本は島国として、独自に持っている文化と民族心理を形成した。彼らは、他人と対立を避けるために、できるだけ社会と集団の中に混ざり合う。互いに友好的な意識を保持するべきだと思われ、調和の人間関係を持っている。これから見れば、相手は自分のことが十分に理解できるかもしれないのは自分がときどき「すみません」を言うからである。「すみません」の意味とニュアンスは日本人にとってよく分かれる。しかし、ほかの国では、こんな意識を認同されにくい。