用李御宁的指摘塑造的是同样东方的一员,与西方完全不同的论理和嗜好。日本人看到森林后,与西方人一样看到树,但并没有结束,日本人的视线移向了枝叶、甚至微观世界的虫子。因此,之后人为地造出自然的模仿品、象征物和小型模型。这也许是日本固有的科学和工业的本色。
另一方面,我们依然认为相信八百万神的森林的民族。与我们一样、以前应该是森林民族的欧洲人,在传来基督教的同时,将自然放置于人为的支配之下,与决定要改变人工的农园和都市不同。但是,从现象来看,人为地想做出什么这一点上,日本文化和西方有某种共性是事实。这样的象征主义有普遍性。以巴黎印象派为首,对于日本风不就是受欧洲的影响吗?思考日本的感性是为了思考日本的文化和美意识是什么,把“日本人是怎样的”作为旅程,从比较文化论的观点看,对我也有无尽的乐趣。
しかしながら、李氏の指摘で浮き彫りになったことは、同じ東洋の一員でありながら、西洋とは全く別の論理と嗜好で、日本人は森を見た後、西洋人と同じように木を見て、しかも、それで終わらずに、枝葉、さらにミクロの虫までに視線が移っていくわけです。そして、今度は、人為的に、手許にその自然の模倣品やシンボル、ミニチュアを造ってしまいます。そこが日本固有の科学や工業の素地かも知れません。
その一方で、我々は依然八百万の神を信ずる森の民族だとも思います。我々と同様に昔は森の民族だったはずのヨーロパ人が、キリスト教の伝来とともに、自然を支配下に置き、人口的な農園や都市に変えようとしてきた伝統文化とは決定的に異なります。しかし、現象面から見ると、人為的に何かを作り出そうとする点では、日本の文化が西洋とある種の共通性も持っていることも事実で、そうしたシンボリズムに普通性があって、パリの印象派をはじめ、ジャニズムがヨーロパに影響を与えたのではないでしょうか。日本の感性を考えることは、かのように日本の文化や美意識は何か、「日本人とは何か」を考える旅路であり、比較文化論的な観点からも、小生には尽きないおもしろさがありました。