根据李御宁的说法,中国和韩国的文人和僧侣尊崇自然原来的样子,对于建造在大自然中居住的简陋小屋,日本人利用借景的手法建造庭院,或者仅仅用石子和沙子建造石庭,而且制作盆栽,最终用插花的形式表现整个世界。也就是说,日本人不是尊崇自然原来的样子,而是人为地把自然微型化,或者象征化,出现引入自己手中想成为自己的东西的倾向。
而且,李御宁指出,在日本有以四个半榻榻米的茶室为代表,在浓缩的空间里保持数人间深厚的关系这样的坐文化,这与QC同好会密切相关。而且,他指出关于茶道的“一期一会”,作为象征武士文化的“拼尽全力”“悬命一所”,保持在时间上瞬间浓缩的张力文化。因此,他指出对于物体的迷恋不彻底。这个专栏是以前接受的针供养和对机器人的感情移入。不把东西备齐的话就会变成“美中不足”。其他还有很多能证明缩小意识的事项。最后的结论变成日本人忘记缩小意识而萌生大国意识的失败的警示。
李氏によれば、中国、韓国の文士や禅僧は、自然のありのままを尊び、自ら自然の中に庵を建てて住まうのに対して、日本人は、借景を用いて庭を造り、或いは石と砂だけで石庭を造り、さらには、盆栽を造り、ついには生け花で宇宙を表現しようとします。つまり、日本人は、自然を自然のまま尊ぶのではなく、人為的に自然をミニチュア化して、或いは象徴化して、自らの手の中に引き込み我が物にしようとする傾向があるというのです。
さらに、李氏は、日本は茶室の四畳半に体表される凝縮された空間に数人が深い関係を持つという座の文化があり、これがQCサークルにつながると指摘します。また、茶道における「一期一会」、武士の文化としての「一生懸命」「一所懸命」に象徴されるように、時間的にも一瞬に凝縮したテンション文化を持っていると指摘しています。そして、ものに対する思い入れが半端ではないと指摘します。このコラムでも以前取り上げた針供養やロボットへの感情移入です。物が揃ってなければ「物足りない」ということになるわけです。他にも「縮み志向」を立証する鋭い指摘が多々あって、最後の結論は、日本人が「縮み志向」を忘れて大国意識に芽生えると失敗するという警句になっています。