以上论述的是东西方的差异,下面论述东亚日本人的特征。最近读了与此相关的有趣的书,韩国朝鲜日报论说委员、梨花女子大学教授、更是努力成为初期文化大臣的李御宁的《缩小志向的日本人》(讲谈社学术文库)。这本书中,最让我烦恼的是:如果日本人无视中国和韩国、仅论述与西方的对比,因此把东方文化共同特征只说成日本仅有的特征是言过其实了。典型的是土居健郎的“娇美的构造”。据说在韩语中娇美的表现像山那样多。尽管我们的文化独特,但是确实很大部分来源于中国和韩国。由于持有相同的文化、无视这些文化,说把东方的特征想成只是日本的特征。这种应该反省。
但是,什么是日本真正的文化呢?对日本人的缩小意识来说,李御宁以巴丹半岛、石川啄木的短歌“东海小岛岩石上的白砂,我泪流满面,蟹弯曲着”开始写。这句短歌用“的”连接的话,东海的、小岛的、岩石的、和白砂的视线推摄出风景画,最后缩小为蟹和泪这样的一点。从李御宁来看,日本的“晶体文化”从平安时代就有了。清少纳言也说“所有小的东西都美”。
首先,“折叠”。彻底地与中国和韩国的团扇相比,折叠扇据说是日本自己的东西。日本的灯笼也与中国和韩国不同,是能折叠的。折叠伞也是日本人发明的。接下来是“取”“削”文化。简略汉字发明了假名。被简略了的女孩人偶和达磨。再后面是“填塞”文化。裹着布的便当、茶室、文库本、简明辞书等。不能填塞的东西变成了毫无价值的东西。
さて、以上は東西の違いで、ここから東アジアの中での日本人の特徴です。これについて最近読んだ面白い本は、韓国の朝鮮日報論説委員、梨花女子大学教授、さらに初代文化相を努めた李御寧氏の「『縮み志向』の日本人」(講談社学術文庫)です。この本で、最初に頭を殴られたような思いがしたのは、日本人が、ともすれば中国、韓国を無視して西洋との対比だけを論ずるがゆえに、東洋文化共通の特徴であることをあたかも日本だけの特徴のように語りすぎるということです。典型的なものは、土居健郎氏の「甘えの構造」。韓国語には甘えの表現が山のようにあるそうです。我々の文化に独自なものがあるにせよ、その源流のかなりの部分は確かに中国、韓国から来て、共通の文化を持っているわけで、それを無視して我々は東洋の特徴を日本だけの特徴のように思いこんで語ってしまう。これは反省すべきです。
では、どこが本当に真性日本の文化なのでしょうか。李氏は、日本人には「縮み志向」があるとして、そのバタンを、石川啄木の「東海の小島の磯の白砂にわれ泣き濡れて蟹とたわむる」という短歌から説き始めます。この歌は、「の」で結びながら、東海の、小島の、磯の、白砂とどんどん視線が点景にズームアップしていって、最後に蟹と涙という一点に凝縮していきます。李氏によれば、日本の「トランジスタ文化」は平安時代からあります。清少納言は言いました、「ちいさきものはみなうつくし」と。
まず、「折り畳む」。中国、韓国はあくまでうちわ型の扇なのに対して、折り畳む扇子は日本独自のものだそうです。日本の提灯も中国や韓国のものとは違って折り畳めます。折り畳み傘も日本の発明でした。次は、「取る」「削る」という文化。漢字を簡略化した仮名の発明。簡略化された姉様人形や達磨。その次は、「詰める」という文化。幕の内弁当、茶室、文庫本、コンサイスなどなど。詰められないものは、「つまらないもの」になります。