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文章字数: | 字 (由Word统计) | 文章格式: | Doc.docx (Word) | 更新时间: | 2017-11-28 |
译文:大关西圈的文化特征
那么,何谓大关西圈的文化性特征呢?虽然说它归根结底不是简单的我们所感受到的印象,其价值也不是体现在那些经得起学术性论议考验的调查方法和数据,但是,我想为了今后再出现同样的结果,有必要把现在想到的细节记录下来。
Ⅰ 虽然人们总是说生活在大关西圈的人对待金钱是很谨慎苛刻的,但是为了社会,为了团体,为了沟通与交流他们是毫不吝惜金钱的。
Ⅱ 生活在大关西圈的人们接纳新的事物需要些时间,但是一旦接纳了就不会轻易舍弃(难热难冷)
首先我们来思考Ⅰ。有报道说,阪神大地震后不久,有不少不得不搬到移动板房里居住的灾民拒绝搬去郊外,他们表示:跟左邻右舍分开很痛苦。那个时候,我还很费解,为什么在这种紧急时刻,还可以要求这么多。但是现在回想起来倒是能理解了,我想也正是因为在那样的非常时刻人们才会不想搬家的吧。对于生活在大关西圈的人们来说,他们与周遭邻居所组成的小集团,社会圈以及相互间的沟通相处是无可取代的。而最能体现大关西圈这种风土人情的恐怕就是经济高度成长期后所盛行的茶餐厅了吧。
不仅仅在办公区或者是交通枢纽中枢一些比较显眼的地方我们可以看到茶餐厅的身影,在大关西圈,从自己家徒步就能走到的附近商业街的大道或者是小弄堂,到处都散布着茶餐厅。而且,穿梭于这些茶餐厅的人中,相对于商人,学生,购物的人,更多的是穿着家常服往来的人,也就是主妇群,中老年人,以及在这附近中小企业、商店工作的人和他们的家属。他们的家都在附近,如果说想要喝些什么,回家最方便最经济,但是为了参与到社会活动,或者说为了与他人交流沟通他们还是选择在茶餐厅(当然,也有些人是为了节省暖气费,节省买报纸、杂志的钱而去的差餐厅,暂且不说这是不是事实,但是还是可以想像得到这样的例子不在少数)
茶餐厅的老板们也相当重视区域集团的紧密性。虽然听说如今茶餐厅的数量在减少而且相对于鼎盛时期,收入急剧下降,但是他们还是坚持着经营着茶餐厅,这是为什么呢,可能现在 开始从事其他行业有困难是一方面的原因,但我想更多的应该是为了给区域集团做“贡献”吧。
神户市中央区内的有些茶餐厅,在点饮料的时候还可以获得打折优惠(早餐优惠可能就是这种心理的衍生物吧)。另外,不仅是茶餐厅,在大阪,坐计程车,即使顾客没有要求,也会得到口香糖或者其他糖果。当然,这其中运营者可能会存在希望顾客下次再光顾的心理因素,但与其说他们的工作热情作祟,我想更多的是他们希望看到顾客的笑容,想要以此为契机同顾客搭话交流吧。
家政服务也是,从一开始就是在几乎不期待直接报偿的前提下进行的,同样的,它是在人们认同双方都是同一个社会团体的一员的前提下,人们互帮互助的持续。
举个最近的例子,JR福知山线脱轨事故后不久,事故现场附近的企业、工厂的工作人员纷纷赶去事故现场,自愿参与到救援活动中去的感人事迹得到广泛传播报道。同样的,这不正是互帮互助的集团共同意识作用下的结果吗。假设这个铁道事故发生在关东地区的话,到底会有多少人会丢下手中的工作跑去救援呢?
我们再来看第Ⅱ点。我想关西人身上时不时让我愕然的【个人主义】跟这有很大的关系。乍一看,你可能会觉得跟上面说的集体意识相冲突,但是我的感觉是,关西人只要不触犯团体成规,个人自由还是受到很大程度的尊重的。
关西人在希望周围的人如何看待自己,要创造怎样的时代这些方面,有着很强的固执自我的意识。而且,社会对他们的这种固执予以很宽容的态度。关西人到了关东,也无所顾忌地继续讲家乡话,一方面是因为他们想要表示自己对关西的爱,以及他们为曾经是文化中心的关西而感到自豪,另一方面,我想更多的是他们不想随波逐流,在他们眼中,因为周围的变化而去改变自己毫无意义。我想音乐家、搞笑艺人中很多出身于关西也正是这种互相尊重个性的风土人情存在的结果吧。
但是,从另一个角度看,因为他们的这种保守,导致他们面对新时代不知所措。不善于客观地认识自我,面对状况的改变后知后觉,往往搞的七手八脚善后。虽然说关西经济的区域低迷很早就被指出,但是,这之后就没听过说要改善之类的话。整个组织,体制正常、顺利地运作进行的情况下,是没有问题的,但是当组织混乱,制度破坏时,却没有人出来制止,维护(大阪市政府,西日本JR、关西国际机场、神户都市开发••••),甚至连那种要拿出新的想法的氛围都难以形成。这可能是因为产生于关西人爱护那些遗留在关西的古街小巷的心态。但是它永远不可能只产生积极的意义。
话说回来,我这样子分开章节,毫无条理地叙述,可能在读者看来越看越像是在自吹自擂。但是,除了茶餐厅,把各个都道府县的数据排列比较看,同样的,我想大关西圈还是会脱颖而出的。如果辩论中需要个论据时想到这篇报告,我会为此感到无上光荣的。
* 本稿是2004年度文部科学省私立大学学术研究高度化推进事业—学术界推进事业【对关西圈的人间文化的综合性研究,文化形成的动机】研究成果的一部分。以武库川女子大学关西文化研究中心主任—西岛孜哉教授为首,以各界的评论,餐饮业咖啡产业多方同仁的心声为参考编辑成稿,有幸刊登在此。 >
原文:大関西圏の文化的特徴
それでは、大関西圏の文化的特徴とはなんだろう。あくまで体験的な印象であり、学術的な論議に耐えうる調査法やデータニよっているわけえではないが、今後、同じような結果が出たときのためにも、思いついたことを書きつけておくことにしたい。
Ⅰ 大関西圏で生活する人々は、一般的に金銭にシビアであると言われるが、コミュニテイのため、コミュニケーションのためには出費や手間を惜しまない。
Ⅱ 大関西圏で生活する人々は、新しいものを取り入れるのに時間がかかるが、一度取り入れたらなかなか手放さない(熱しにくく、冷めにくい)
まずⅠについて考えてみる。阪神大震災の直後、仮設住宅に移る必要のある被災者たちが「ご近所と離れ離れになるのが辛い」と郊外に転居することを拒む事例がおおいことが報道された。その当時は、「こんな非常事態なのに、どうしてそんな暢気なことを言っていられるのだろうか」と思っていたが、今思えば、「あんな非常事態であったからこそ、移れなかったのだろう」と納得出来る。大関西圏に生きる人にとって、ご近所コミュニテイ、ご近所コミュニケーションは、それほどまでにかけがえのないものである。そして、こうした風土に上手くマッチしてのが高度経済成長時代以降に普及した喫茶店だったのだろう。
大関西圏のおける喫茶店は、オフィス街やターミナル周辺の目抜き通りにだけあるのではなく、自宅から徒歩でいけるような近所の商店街の表通り、裏通りにも散在している。従って、そこに出入りするのはビジネスマンや学生、ショッピング途中の人たちであるよりも、その町を普段着で往来する人、すなわち主婦や中高齢者、その界隈にある中小規模の会社や店舗で働く人、家族連れ`といった層である。彼らは自宅が近いのであるから,飲み物がほしいのだったら家に帰った方がよほど早いし,経済的なのだが,コミュニテイに参加するため,あるいはコミュニケーションを維持するために喫茶店を利用している(もちろん、冷暖房代や新聞,雑誌代を倹約するために喫茶店に行くという人も、それが現実的であるかどうかはともかく,少なくないだろうことが予想できる)。
コミュニティを大切にしているのは,喫茶店の経営者も同じだ。喫茶店数も減っているが,収入の方もピーク時に比べるとずいぶんとへっていると聞く。それでも喫茶店を続けるのはなぜかといえば、今から他のことを始めるのが困難だからでもあろうが,なじよりもコミュニテイへの「貢献」が理由なのではないだろうか。5
神戸市中央区内の喫茶店でも,飲み物を頼んだ時にオマケが付いてくることがある(この心理の延長がモーニング。サービスでは?)。また,喫茶店ではないが,大阪でタクシーに乗ると,頼んでもいないのにガムや飴をもらうことがある。「ぜひとも次回も利用してほしい」という営業上の理由が皆無であるとは言わないが,これは彼らが仕事熱心だからであるというより,「相手の喜ぶ顔が見てみたいから」であったり,「会話のきっかけ」であったりするように思う。
家族サービスというのは,そもそも直接の見返りをあまり期待しないで行われるものだが,それと同じように,お互いが同じコミュニテイの一員であることを認識しているからこそ、こうした「持ちつ持たれつ」の関係が継続していつのではないだろうか。
最近の例では、JR福知山線の脱線事故直後,近隣の会社や工場の人々事故現場にかけつけ、誰に頼まれたわけでもないのに独自の救出活動を行わったことが報道されている。これも,お互いに「持ちつ持たれつ」の共同体意識を持っていたからできたことではないだろうか。もしも関東で鉄道事故が起こったら,果たして仕事を放り出して救援に駆けつける人はどれくらいいただろう。。。
Ⅱについて言えば,関東出身の私をしばしば驚かせる関西人の「個人主義」が、これには密接に関わっているように思う。一見すると,先に述べた共同体意識と矛盾するものに思えるかもしれないが、共同体の約束から大きく逸脱しない限り,個人の自由は最大限に尊重されているように感じられる。
関西人は周囲からそう見られようと、また、どのような時代になろうと、自分のスタイルを守り続ける頑固さ、意志の強さを持ち、また、共同体の側も、それを許容する度量の広さを持っている。関東に行っても堂々と関西弁をしゃべり続ける事ができるのは,関西への愛着や、かつて文化の中心であったことによるプライドの表れでもあるのだろうが、何よりも,彼らが周囲の状況に合わせて自分を変化させることに,意味を感じていないからであるように思う。個性的なミュージシャンや芸人に関西出身者が多いのも,こうしたお互いの個性を尊重する風土が関係しているのではないだろうか。
しかし,これは裏返してみれば,因習的で,新しい時代への対応が下手。自分を客観的にみることが不得手で,状況の変化に対して後手後手にしか対応ができない。。。という欠点にも繋がる。関西経済地盤沈下が指摘されて久しいが,その後,改善したと言う話を聞かない。システムがうまく働いているうちは問題ないが,システムが暴走しても誰もブレーキをかけることがなく(大阪市役所やJR西日本,関西国際空港,神戸市の都市開発。。。),新しいアイデイアを産み出そうという雰囲気さえそこには生まれにくい。これは関西に古い町並みや文化が残り,人々がそれを愛し、慈しんで生きていることにもよるのかもしれないが,それはいつもプラス面にばかりは働いてくれないのである。
さて。われながらあまりに雑駁で,その割にはずいぶんと大風呂敷なことを書いてきたように思う。しかし,喫茶店以外でも、各都道府県のデータを一列に並べてみると,同じような大関西圏のエリアが浮かび上がることはあるのではないだろうか。そんな時に議論の叩き台としてでも、この報告を思い出してもらえれば嬉しく思う。
*本稿は2004年度文部科学省私立大学学術研究高度化推進事業、学術フロンティア推進事業「関西圏の人間文化についての総合的研究 文化形成のモチベーション」の研究成果の一部である。武庫川女子大学関西文化研究センター長―西島孜哉教授を始め、多くの方々のコメント、また、多くの喫茶業、コーヒー産業の方々の声を参考に稿をまとめた。紙面を借りてお礼申し上げます。>