日本人的审美观[日语文献翻译]日本人の美意識-节选一
编 辑:日语论文网发布时间:2017-11-28

译文:日本人的审美观
原文:日本人の美意識
译文:日本人的审美观一般被认为是同自然的统一,以及佛教的万事无常。但是,由于每个时代的不同,日本人所表现出来的审美观也是不同的。
战国时代结束了,在接下来这个能让心灵回归平静的中世时代,人们所追求的审美观中有战国乱世结束后所感到的人生无常,而这种无常观中正隐含着幽玄观。
原文:日本人の美意識の底には常に自然との一体感と仏教の諸行無常の考え方が流れている。しかし、時代の雰囲気によって表現される美意識は異なる。
戦国時代が終わり、心の落ち着きを取り戻した時代に力を得た中世人が求めた美意識に戦国乱世の終わった後の人生無常が秘めこんだ「幽玄」があった。

译文:这样的审美观来源于佛教的理念。 中世的连歌论中第一次正面阐述了日本人的审美观。连歌论中有“飞花落叶”这一句话,阐述了自然中生命无常的这一佛教理念,从而形成了“幽玄”这种审美观。“幽玄”这种审美观,也不断体现在后世人所作的俳句中。比如俳句中所说的“侘”“寂”,可以看出这之中所包含的寂静之感,也是受到了无常观的影响。感受到无常以及寂静的美,并不是日本人审美观中特有的,它也体现在西方的美学中。但是从日本人的作品中,更能看出日本人审美观的特征。芭蕉除了写“风雅”“侘”“寂”之美,还说了“凋零”“细”之美,“凋零”有枯萎、枯竭、干枯的意思,而“细”指的是纤细的美,所有的都是与无常观紧密联系的。日本人的审美观中像这种发源于佛教思想的一大主要分支直到今天还在不断的延续着。
原文:この美意識の根底にあるのは仏教的な考えである。中世の連歌論がはじめて日本人の美意識を正面から論じた。連歌論に「飛花落葉」という言葉があるが、自然の中に生きるもののはかなさを説く仏教無常観が「幽玄」の美意識に形作った。「幽玄の美意識は、後世の俳句にも引き続がれていく。たとえば俳句で言う「侘び」、「寂」は、いずれも寂しさの契機を含んでおり、そこにやはり無常観の影響が見られる。美の持つ「はかなさ」、「寂しさ」という感覚は、日本人の美意識だけに特有のものではなく、西洋の美学にもそういった表現はある。しかし日本の場合は、それが一貫していわれる所に大きな特徴が見られるのである。芭蕉派「風雅」「侘び」「寂」のほかに「しおり」とか、「細み」の美についても語っている。「しおり」とは、「しおれる」「しぼむ」「枯れる」ことであり、「細み」は、「繊細な美しさ」意味してるが、いずれも無常観とかかわりがある。このように、日本人の美意識には、仏教的な思想に源を発する一つの大きな流れが、今日までずっと続いている。
译文:再说日本的艺术作品中,“留有余地”“韵味十足”是非常重要的,江户时期以来的邦乐、邦舞、戏剧中对留有一定的空间表现相当重视,无论书道还是绘画中,留白包含着更深远的意义。文学作品也是这样,不会完全的说尽,而是努力让读者去感受不用语言表达出的那种美感。
原文:また日本の芸術作品は、「間」とか「余情」を大切にする。江戸期以来の日本の邦楽、邦舞、演劇では、間の取り方が重要であり、書道でも絵画でも、余白の空間に大きな意味を持たせる。文学作品にあっても、すべて言い尽くさず、言葉に表さない所で美を感じさせようとする。
译文:不追求奢华而是以朴质取胜的茶道,是寻求包藏着丰富且安静的心灵、体现“侘”的审美观。以千利休为首的热衷于茶道的大师们,可以从一朵野花或者日常用具中寻找到美。“寂”是在以松尾芭蕉为代表的俳句中所呈现出审美观,其所表达的是宁静而又孤高的心境。“侘”和“寂”都是在悟禅境界中的主要精神价值追求。
原文:また、茶道にも奢らず質素のなかに、豊かさと静かな心を秘めた「侘び」という美意識を求めている。千利休を始めとする茶道の宗匠たちは、一輪の野の花や日常雑器の中に美をみだした。「寂」は松尾芭蕉を中心とした俳句の世界で言われた美意識で、静かな孤高の心境を言う。「侘び」も「寂」も禅の悟りの境地をバックボーンに持っている。

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