高龄化是新境界[日语论文外文翻译] 高齢化はニューフロンティア
编 辑:日语论文网发布时间:2017-11-28

译文:高龄化是新境界

原文:高齢化はニューフロンティア

自古以来,不老长寿就是人类最大的愿望。到如今,日本在一定程度上实现了这个愿望。

古来、不老長寿は人類最大の願いである。それを今、日本は相当程度に実現している。

首先是长寿。2005年,平均寿命是82.01岁,与一百年前相比增长38岁,与五十年前相比也增长了30岁。可以说一百年前、五十年前的人们所期望的长寿梦已经实现了。现在的日本人,除了事故以外,担心突然夭折这样的事几乎已经没有了。

まず、長寿。2005年の平均寿命は82.01歳、百年前に比べて38歳、五十年前に比べても30歳も伸びている。百年前、五十年前の人々の願った長寿の夢は実現した、といえるだろう。現在の日本人は,事故以外で「突然の若死に」を恐れることはほとんどない。

对抗衰老这方面也在进步。通过医学和营养学的进步,以及生活环境的改善,健壮的老年人也在增加。通过老花镜、假牙、助听器这些各种各样的“对外部的强化手段”,也可以弥补“老”。而且,像在美容这方面“使人看上去年轻的想法”也在进步,60岁的女演员主演情景剧也不再稀奇。

不老の方も進んだ。医学や栄養学の進歩と生活環境の改善で、矍鑠とした高齢者が増えた。老眼鏡や義歯、補聴器、その他様々な「外からの補強」によって、「老い」補うこともできる。その上、美容の面でも「若く見せる工夫」が進み、六十歳の女優がメロドラマの主演をするをすることも珍しくない。

最能体现长寿的是年金制度。保证高龄者的持续的收入是最能体现不老的凭证。没有比既长寿又不老,而且有工资更幸福的事了,因为可以自由自在的度过很长的闲余时间。如今的日本,被称为人类最大的愿望的“最接近不老长寿的天国”也不为过。

何よりの不老は、長寿にして不老は、年金制度。高齢者なら所得があり続くというのは、何よりの不老の証しだろう。長いにして不老、それも所得まであるとなれば、これに勝る幸せはない。長い余暇を意のままに過ごせるわけだ.今日の日本は、人類最大の願い「不老長寿に最も近づいた天国」といっても過言ではあるまい。

但是,按照世界的风潮来讲很难说长寿不老就是喜事。反而将长寿归为劳苦一类的论调也很多。关于日本和日本人的将来所持有极端的悲观论,主要是从官僚机构流露出来的。即不采取解决政策就会产生不好的后果。

ところが、世の風潮は、それを喜び楽しんでいるとはいいがたい。むしろ、長寿が苦労の種のような論調が少なくない。主として官僚機構から、日本と日本人の将来について極端な悲観論が、解決策を添えずに垂れ流されているからである。

对于日本的将来所持有的悲观论分为两种。

日本の将来に対する悲観論には二つの種類がある。

一种是由于中国等亚洲诸国的工业化,日本的国际竞争力降低,产业经济的空洞化日益恶化这样的经济没落论。还有一个是人口的少子高龄化,医疗和看护、年金等等的负担增加,财政方面漏洞百出这样的财政破绽论。

一つは、中国などアジア諸国の工業化によって、日本の国際競争力が低下し、産業経済の空洞化が進む、という経済没落論だ。もう一つは、人口の少子高齢化で、医療や介護、年金などの負担が嵩み、財政的に破綻する、という財政破綻論である。

这两者是相辅相成的,这种长期悲观的氛围在世间生根发芽。并且关于这个,只有官方才有的详细数据排列出来,乍一看的确是逃避不了的事实。但是,也要看到这个必须是在“现有的状况将会持续下去”这一前提条件之下,带来的结果。

この二つは相互に絡み合い補完し合って、長期悲観的な雰囲気を世の中に植え付けている。しかもそれには、官僚特有の詳細な数値が並べられており、一見、逃れがたい予測に見える。だが、これには必ず「現在の状況が続くとすれば」という前提条件が付いていることを見逃してはならない。

在此时,由于亚洲各国,特别是中国的工业化进展,给日本的企业带来低工资,产业开发的低投资的不可多得的优惠条件,这也应该将会给日本国内更多的企业带来就业机会和就业场所。在知识社会中,只有文化的质量和工资的水准越高,信息和观光等靠知识创造的行业就才能集中。

この際にアジア諸国、とりわけ中国が工業化することは、日本の企業に、低賃金低開発の産業立地を与える天恵といえる。このことはまた、日本国内にもより多くの企業の機会と就業の場を与えるはずだ。知価社会では、文化の質と賃金水準の高いところにこそ、情報や観光などの知価創造的業種が集中するからである。

还有一个关于少子高龄化的问题也是同样的。如果现在高龄者的概念不改变,针对高龄者的社会体制不修改的话,经济活力就会缺失,医疗、看护、年金的负担加重,财政就会漏洞百出,这是铁定的事实。但是如果关于高龄者的范围和概念改变,社会体制更改,将来的预测也会改变。

もう一つの問題、少子高齢化についても同じだ。現在の高齢者の観念を変えず、高齢者に対する社会の体制も改めないとすれば、経済の活力は失われ、医療や介護、年金の負担の重みで財政が破綻するのは確実だろう。しかし、高齢者というものの範囲と観念を変え、社会の体制を改めれば、将来の予測も一変する。

高龄者的增加也会伴随着多数的积蓄、各种各样的经验和对于时间游刃有余的人们的消费市场的扩大,因而“持有年金劳动者”大量出现。

高齢者の増加は、多額の蓄積と様々な経験と時間的ゆとりを持つ人々の消費市場が拡大することであり、「年金兼業型勤労者」の大量出現でもある。

问题就在于,这关系到进行怎样的认识、怎样去接触、怎样活用这样的智慧和决断,能预见未来的人就必须有健全的乐观主义,相信“未来会更好”这一志向和信念。

問題はこれを、どれだけ認識し、どのように接触し、どう活用していくかの知恵と決断にかかっている。未来を見ようとする者は、健全な楽観主義、「未来はよくできる」という志と憤りが必要である。

我们总是会想老了会是一件令人讨厌、痛苦的事情。在这种相信钱多就是幸福的近代工业社会中,拥有敏锐的运动神经和卓越的新知识新技术等记忆能力的“年轻”是很受欢迎的。

私たちは、老いは嫌なこと、苦しいことと思いこんできた。物財の多いことが幸せだ、と信じてきた近代工業社会では、運動神経の鋭敏さと新しい知識や技術を記憶する能力に優れた「若さ」が好まれた。

但是,这只不过是近代,尤其是这个观念到达顶峰的20世纪后半期的特征而已。与近代之前的中世纪是不同的。信仰、身份和注重礼节的中世纪,“年轻”就是不成熟的象征,而“老”则被认为是一种安定的知识与信赖。各领域的领导被称为“长老”,集团的顾问都被称为“上年纪的人”。因为经验和积蓄是非常重要的。

だが、これは近代の、とりわけその頂点を極めた二十世紀後半の特徴に過ぎない。近代に先立つ時代・中世は違っていた。信仰や身分や格式が重んじられた中世においては、「若さ」は未熟と移りを意味し、「老い」こそ安定した知と信頼の象徴と考えられていた。各界のリーダーは「長老」と呼ばれ、集団の世話役は「年寄り」と名付けられていた。経験と蓄積こそ重要だったからだ。

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