日语外文翻译:战后日本的“中小企业近代化”政策
编 辑:日语论文网发布时间:2017-11-28

译文:战后日本的“中小企业近代化”政策

中小企业基本法和中小企业近代化促进法

在我国,与欧美发达国家和发展中国家的政治理念或展开相比是很不一样的,有我国自己独特的历史。如果用一句话来表现这个特征的话,,“中小企业现代化”的理念是一直被标榜的。

1963年制定的中小企业基本法,被普遍认为是战后日本的政策理念和目标的代表。基本法的第一条规定这样写到“有关国家的中小企业的政策的目标,鉴于对中小企业在国民经济应该完成重要的使命, 适应国民经济的增长发展, 对于中小企业的经济社会限制导致的不利条件纠正的同时,应提高中小企业人士自身的努力,就像在企业间的生产率等的差距被改正一样地作为目标,有助于中小企业的发展和中小企业从事者经济社会地位的提高。”

中小企业的“不利”和“差距”问题在实际中是存在的。从正面纠正这一点的法律政策也是明显存在的。同时这种“差距”引发了制约“经营的稳定”等问题,为了解决这个问题,实现生产率提高的“中小企业的成长发展”,这个政策的基本手段和目标有必要被关注。基本法的第三条主要提出了“设备近代化”等一些近代化措施。并同时实现了中小企业近代化促进法(近促法)的基本法具体化。

近促法第1条,叙述着”根据制定调查中小企业的实际状态,就那个实际状态的中小企业近代化计划,讲授图谋那个圆滑的实施的措施的事等,把促进中小企业的近代化,盛为国民经济健全的发展贡献作为目的”.

但是仔细读近促法的条文,你会发现这些基本法的思考方式有着微妙的不同。近促法的目的是限定中小企业的近代化和由此带来的国民经济的发展,中小企业的生产率提高明示着联系产业结构的高度化和国际竞争力的强化的行业的对象。近促法具体措施的标定方法的制约也有,但是以后的政策的重点是这样的“现代化”本身的推动。

呈现在基本法上的理念仅仅决定了战后的中小企业政策的方向, 还有构成昭和30年代以后的「产业结构高度化」的过程,展示着双重意义的两面性。

战后中小企业政策的曲折

战后日本的中小企业政策引人注目的是1948年的中小企业厅(第一代长官,蜷川)的设置。在这个背景下,①战后经济的混乱中作为产业的生产力回复的主力的中小企业的活跃;,②中小企业的「过小过多性」的问题的担忧;③解体财团和经济力集中排挤,农地释放等的“经济民主化”的潮流。因此,在这个时期的中小企业对策机关的设置,被看作是普通“战后民主化政策”的延续。确实,中小企业厅设置法第1条叙述“这条法律,健全独立的中小企业把健全国民经济,并使之发达,防止经济力的集中,还有对打算经营企业的人,确保公平的事业机会,培养中小企业,并使之发展,使之经营提高诸多条件作为目的。”提出促进竞争和事业机会的确保这样的理念。这个使人想到与美国的政策理念的类似性的东西。

但是这样的理念却不能被广泛的付诸执行。由1949年被实施的所谓“死亡复苏” 的通货紧缩和超均衡财政导致大量的中小企业的破产处理,成为了大的社会问题。朝鲜战争的开战和「重整军备」下的「特别需要景气」也有了盛况,不过,马上停战后的反动袭击,中小企业的经营资金困难变得严重了。全日本中小企业协会(全中协)和全国工商团体联合会(全商联,人民商)等的要求运动变得活跃。这样的状况下,政府主要为金融对策和组织化对策注入着力量。国民金融公库设置(1949年),工商工会中央金库的贷款扩大〔1951年),中小企业金融公库设置(1953年),互相银行法’信用金库法制定〔1951年),中小企业信用保险制度出发(1950年)和中小企业合作社法制定(1949年)等的领导才能.另外,产业合理化的动向的同时,中小企业也于1952年制定了“特定中小企业的安定相关的临时措施法”(第2年的《中小企业稳定法》,无限期延长),和明文规定“稳定事业”之名而调整工会带来的生产限制探亲的采取的措施。

并且,1957年中小企业团体组织法被制定,与共同经济事业共计能实行调整事业的工商工会的强有力的地位被制度化做了。1956年的百货商店法,同年下请货款支付延迟等防止法,1957年的环境卫生关系营业,1958年中小企业协同组合的法律修改,1960年的大韩商会,1962年的商业街振兴组合法等一系列的立法,中小企业的组织化和交易关系的“最佳化”大幅提高了,但这是中小企业的自我防御和经济发展失衡现象计较的纠正的角度看,同时组织化和“调整”措施落实,有些人指出,借助于反垄断法地位,排除制。中小企业的官僚控制必定也令人担心。

与此同时,昭和30年代迎接中小企业的设备,技术等的“现代化”的想法浮现了。因此,中小企业基本法•近促法在制定之前,中小企业现代化的措施广泛付诸实施。于1954年“中小企业设备现代化补助金制度”开始实施,在1956年成为了中小企业振兴资金筹集方法。还有,从同年开始机器工业,纤维工业,电子工业等的振兴临时措施法相继被制定,按对1960年近促法的前身也有的中小企业行业振兴临时措施法被制定.

振兴资金补助法,从国民经济的观点看“出口振兴”没有对于“设备近代化”的必要,但是国家•县的行业指定及振兴计划的设备现代化的资金筹集的。“行业近代化”的想法逐渐成为现实了,把各种机械工业振兴临时措施法(振兴法)作为契机。是打算机器工业这个今后的“战略产业”的合理化和再次编成,技术创新的重要的立法,不过,作为联合企业行为的垄断禁止法适用除外等的突破口,「中小企业关系立法」的形式,作为安排零部件和涛物,轴受等机器工业的“基础部门”的振兴强化的东西,也担负了作为“构造政策的中小企业政策”的“中小企业近代化”的先驱。还有《行业振兴法》上,政府的行业指定和视察,改善事项的制定,主要负责大臣的改善指导的规定。


原文:戦後日本における「中小企業近代化」政策

中小企業基本法と中小企業近代化促進法

わが国においては,欧米先進国や発展途上国の政策理念や展開とは相当異なる,独自の「中小企業政策」の歴史がある.その特徴を一口に表現すれば,「中小企業近代化」という理念を掲げてきたところにあると言えよう。

1963年に制定された中小企業基本法は,戦後日本の政策の理念と目標を代表するものとみてさしつかえないが,この基本法の第1条はこう記している.「国の中小企業に関する政策の目標は,中小企業が 国民経済において果たすべき重要な使命にかんがみて,国民経済の成長発展に即応し,中小企業の経済的社会的制約による不利を是正するとともに,中小企業者の自主的な努力を助長し,企業間における生産性等の諸格差が是正されるように中小企業の生産性および取引条件が向上することを目途として,中小企業の成長発展を図り,あわせて中小企業の従事者の経済的社会的地位の向上に資することにあるものとする」.

中小企業の「不利」と「格差」という「問題」が現にあり,これを是正していくということを正面からうたっているのがこの法の政策理念であることは明らかである.同時にまたこうした「格差」が—経営の安定」を制約するなどの現実問題をひきおこしており(同法前文),これを克服するため,生産性向上等による「中小企業の成長発展」の実現がこの政策の基本的手段・目標となっていることに注目する必要がある.基本法の第3条以下は「設備近代化」などの近代化諸施策を主に掲げており,また同時に成立した中小企業近代化促進法(近促法)が基本法の具体化なのである.

近促法第1条は,「中小企業の実態を調査して,その実態に即した中小企業近代化計画を策定し,その円滑な実施を図る措置を講ずること等により,中小企業の近代化を促進し,もって国民経済の健全な発 展に寄与することを目的とする」と述べている.

しかしこの近促法の条文を注意深く読むと,基本法の考え方とは微妙に食い違っていることに気づくであろう.近促法の目的は,中小企業の近代化とそれによる国民経済の発展にあると限定され,中小企業 の生産性向上を図ることが産業構造の高度化や国際競争力の強化につ ながる業種を対象とする(同法第3条)と明示されている.近促法は 具体的施策の方法を定めたものという制約もあるものの,以後の政策 の重点はこうした「近代化」自体の推進にあった.

そのことは,基本法に現われた理念が単に戦後の中小企業政策の方向を定めたというだけでなく,昭和30年代以降の「産業構造高度 化」過程を構成するものでもあり,二重の意味でのニ面性をもってい ることを示している.

戦後中小企業政策の曲折

戦後日本の中小企業政策で注目されるのは,1948年の中小企業庁(初代長官.蜷川)の設置である.この背景には,①戦後経済の混乱のなかでの産業の生産力回復の担い手としての中小企業の活躍,② 中小企業の「過小過多性」にともなう問題への懸念,③財閥解体や経済力集中排除法,農地解放などの「経済民主化」の潮流がある.それゆえ,この時期での中小企業対策機関の設置は,一般に「戦後民 主化政策」の延長上のものという見方がされているはたしかに中小企業庁設置法第1条では,「この法律は,健全な独立の中小企業が,国民経済を健全にし,及び発達させ,経済力の集中を防止し,且つ,企業を営もうとする者に対し,公平な事業機会を確保するものであるのに鑑み,中小企業を育成し,及び発展させ,且つ,その経営を向上させるに足る諸条件を確立することを目的とする」と述べ,競争促進と事業機会の確保という理念を掲げている.このことは,米国の政策 理念との類似性を思わせるものがある.

しかし,こうした理念がそのまま広く実行に移されたわけではな い.1949年に実施されたいわゆる「ドッジライン」によるデフレと超均衡財政は多数の中小企業の倒産整理を招き,大きな社会問題となった.朝鮮戦争の開戦と「再軍備」下の「特需景気」は活況をもた らしたが,すぐに休戦後の反動が襲い,中小企業の経営難は深刻化した.全日本中小企業協議会(全中協)や全国商工団体連合会(全商連,民商)等の要求運動は活発化した.こうした状況下に,政府は主に金 融対策と組織化対策に力を注いでいる.国民金融公庫設置(1949年),商工組合中央金庫の貸付拡大〔1951年),中小企業金融公庫設置(1953 年),相互銀行法’信用金庫法制定〔1951年),中小企業信用保険制度発足〔1950年)や中小企業協同組合法制定(1949年)等の動きがみられる.また,産業合理化の動きが進むのに合わせて,中小企業にたいしても1952年に「特定中小企業の安定に関する臨時措置法」(翌年)「中小企業安定法」に恒久化)が制定され,「安定事業」の名で調整組合による生産制限を許すという策がとられた.

さらに,1957年には中小企業団体組織法が制定され,共同経済事業と調整事業を合わせて実行できる商工組合の強力な地位が制度化された.1956年の百貨店法,同年の下請代金支払遅延等防止法,1957 年の環境衛生関係営業法,1958年の中小企業協同組合法改正,1960 年の商工会法,1962年の商店街振興組合法といった一連の立法で,中小企業の組織化と取引関係の「適正化」が図られたが,これらは中小企業の自己防衛と経済的不平等・不利の是正という側面とともに,組織化と「調整」策を定着させ,一部では独禁法制への除外をますま す広げ,中小企業者への官僚統制を強めるものとも危惧されている.

これとは別に,昭和30年代を迎えると中小企業の設備,技術等の「近代化」といった考え方が浮上してきた,それゆえ,中小企業基本法・近促法の制定に先がけて,中小企業近代化の施策は広く実施に移されている.1954年には「中小企業設備近代化補助金制」が始められ,これが1956年には中小企業振興資金助成法となった.また,同年からは機械工業,繊維工業,電子工業などの振興臨時措置法が相次いで制定され,1960年には近促法の前身でもある中小企業業種別振興臨時措置法が制定されている.

振興資金助成法は,国民経済的見地からの「輸出振興」ないし「設備近代化」の必要にたいし,国・県の業種指定と振興計画のもとで設備近代化の資金助成を行うものである.「業種別近代化」という考え方が現実のものになってきたのは,機械工業振興臨時措置法(機振法)を契機としてである.機振法は,機械工業という今後の「戦略産業」の合理化と再編成,技術革新を意図した重要な立法であったが,カルテル行為の独禁法適用除外などの突破口として,「中小企業関係立法」の形をとったのであり,部品や涛物,軸受等機械工業の「基礎部門」の振興強化を図るものとして,「構造政策的中小企業政策」たる「中小企業近代化」の先がけという性格も担った⑹.そして,「業種別振興法」では,政府による業種指定と実態調査,改善事項の策定,主務大臣の改善指導という手順が定められた。

文献摘自三井逸友.「現代経済と中小企業」

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