わたしはすこし気がしずまって来た_日语外文翻译
编 辑:日语论文网发布时间:2018-10-18

译文:

我的手肘和膝盖都被擦伤了,忍着痛楚好不容易爬起身来的时候,那少年早已消失在某处,连个影儿都没有。这边,女人一边叫嚷着,一边恶狠狠地盯着我。在她的身边,依旧是那个穿着军靴的男人。他嗖嗖地甩着手里地竹竿,好像是要威吓我一样地挡在了我的面前。大概是我手中香烟的火星弹在了那女人的背上,把她的衣服烧了一个大洞。身边早已聚集了一大片的人,大家好像都向我摆着一副怀有敌意的神色,好像刚才抱着那女人的大腿的犯人就是我(虽然我确实也是应该得为我的羞耻行为而付出责任)。我的脸一下子红了起来,一方面是因为现在是大白天,并且聚着这么多人;另一方面是因为我害怕接下来不知道会受到什么样的耻辱,所以我想要逃离这里。我观察着人墙的缝隙,撞开了最薄弱的地方——那个发着呆的家伙。我在散乱的人群中穿梭,不顾一切地向着往市场外面跑去。

狭窄市场外的不远处就是电车车道,我被追到那边后才松了一口气,回过身一看,幸好,没有人追上来。仔细一瞧过路的行人,大家好像都以一副非难的眼神看向我这里。原来是因为我从头到脚都是满身的污泥,四肢擦伤的地方还染着血,加上身边的人还是刚刚在市场的面孔,想必我这也算是一道不一样的风景吧。我生来就是有着很强的虚荣心,一个劲儿地为了使自己变更加体面而付出苦心,就连混入不知廉耻的市场的那份喧闹里也是。如果说,我对那个饭团小摊上当班的女人稍稍产生一丝丝爱慕的话,是绝对不会出现那种卑劣的神情的。我会尽可能地装模作样,努力着想给她展现一副品质高尚的样子,但是我最终却迎来了这样惨淡的结局。我比市场里那最不知廉耻的人还要不知廉耻,就宛如是贱民中的贱民。先不谈对太阳照耀的日光和他人目光的顾虑,我的虚荣心比什么都难成为烦闷的借口。我擦去身上的泥土和鲜血,重新系上松开的鞋带,摆出一副若无其事的样子,但总觉得双脚还不能顺畅地走路。先不管这个,话说刚才的少年究竟为什么会那么沉着冷静,而且不失机敏,倒不如说是以堂堂正正的态度,混迹于这些市场的无赖之中。他就像是在这片旷野生根发芽的种族先祖一样,不知从那里的天边还是从那里的地底,被派到这片新市场的土地上。没有如此这样的法律、只穿着侮辱的外衣、下贱的裸体之徒,谁会与他为伍?但是,弥赛亚(被上帝选中之人)一直都是从下贱的民众当中产生的。所以对于还没有法律的人来说,神才是伙伴,少年出乎意料的和神的有着深深的联系,所以从这开始,在这片从火灾后的废墟开辟出的新大地上蔓延繁衍的人们的起源,可能正是“人之子”所被分配的任务。虽然还没判明少年是不是基督,但是耶稣肯定是不能撼动的目标。市场的人们都不怎么开口说话,少年也不会特意地说一句。按理说,行为就是语言。这一种种行为,比如说“让他拿出沙丁鱼”、“给他吃饭团”、“抱住女人的大腿”这些说出来的话,就和下命令一样。那命令之中些许掺杂了一点儿神学的味道,这时俗物们还不能够理解的,但是他们一定会认定其为不可违背的誓言,是可以和拿撒勒的耶稣的言行相比的准则。如果谁能够仔细观察少年的日常的行动,并记录总结编辑的话,肯定能编出一部能和《耶稣山上垂训》相媲美的说教集。这样想的话,少年的行为风采岂不是有着天大的威严。破烂的衣衫、满头的脓包、肆意流淌的脓液,甚至是生出的蛆虫,这些装点着的盛装,如果不是郑重威严的王者,是不配穿在身上的。在一如既往的虚荣心的作弄下,我常有着“不顾一切地想让自己变得华丽”这种偷偷的愿望。但因为没钱没物,我一直过得十分地辛苦。可是将王者的盛装变成手中之物这件事,还是依旧那样地遥不可及。现在,敌人可是耶稣!我为了拥抱那个女人,四肢被擦伤,这简直就是灾难,除了放弃也没有办法。想着想着,我稍稍地平静了下来。


原文:

肱と膝とをすりむき、痛さをこらえて、わたしがやっとおきあがったときには、少年はどこに消えたのか、もうその影も見えなかった。そして、女はなにやらわめきながらひどい権幕でわたしを睨んでいる。そのそばに、例の兵隊靴の男がまたもほそい竹の棒をぴゅっぴゅっと鳴らしながら、わたしを威嚇するように立ちはだかっている。どうやらはずみにわたしのたばこの火が女の背中に飛んで、シュミーズに大きい焼穴ができたということらしい。まわりには、すでにいっぱいひとだかりがしていて、みなわたしに対して敵意をもっている形相と見えた。わたしは先刻女の足に抱きついた当の犯人がわたし自身であったかのように(じつはわたしもまたその恥ずべき行為の荷担者にはちがいないのだが)、顔をまっかにして、一つには白昼ひとだかりのまんなかでこのうえいかなる恥辱をうけるのかという危惧におののきながら、はやくこの場をのがれたいとおもい、人垣の隙をうかがって、いちばん弱そうなぽんやりしたやつを突きとばし、みだれた列のあいだを縫って、市場の外ヘと、夢中で駆け出した。

せまい市場の、すぐ外側が電車通で、そこまで駆け抜けてほっと息をつき、ふりかえって見るとさいわい追いかけて来るものもなかった。気がつくと道を行くひとがみな咎めるような眼つきでこちらを見ている。なるほどあたまから泥まみれ、手足のすりむきで血に染んでいて、おまけにつらつきの市場じみたところがまだ改まっていないようだから、さだめて異様な風態だろう。わたしは生れつき虚栄心満々としてもっぱら体裁をつくることこに苦心し、恥知らずの市場の雑鬧に入りまじってさえ、たとえばムスビ屋の店番の女にちょっと岡惚してみたにしろ決して劣情は色に出さず、なるべくきとって品のよそうな恰好をこしらえあげることに努めていたのに、それがこういう惨澹たる結果になって来ると、市場の中のいちばん恥知らずよりもなお恥知らずで、まことに賤民中の賤民とは自分のことであったと、照る日の光とか他人の見る目などヘの気がねはさておき、なによりもわが虚栄心のてまえいいわけ立ちがたく煩悶ひとかたでなかった。わたしは泥をはらい血をふいて、ほどけた靴の紐をむすび直し、さりげないふうをよそおってあるき出したが、どうも足どりがまだすらすらと行かなかった。それにつけても先刻の少年はどうすればあのように沈著に、かつ機敏に、むしろ堂々たる態度をもって市場の悪党どものまんなかを押しあるいていられるのだろう。どこの天の涯からか、またはどこの地の底からか、この新規にひらかれた市場の土地に遣わされて来て、ここの曠野に芽ばえる種族の先祖はおれだといっているような押し出しである。かくのごとく律法のない、汚辱のほかにはなにも著ていない、下賤のはだかの徒に、たれが味方するのか。しかし、メシヤはいつも下賤のものの上にあるのだそうだから、また律法のないものにこそ神は味方するのだそうだから、かの少年は存外神と縁故のふかいもので、これから焼跡の新開地にはびころうとする人間のはじまり、すなわち「人の子」の役割を振りあてられているものかも知れない。少年がクリストであるかどうか判明しないが、イエスだということはまずうごかない目星だろう。市場のものどもはいったいにあまりおしゃベりをしないようだが、少年はとくに一言も口をきかなかった。按ずるに、行為がことばだというわけだろう。そしてその行為は一つ一つ、たとえばイワシをよこせとか、ムスビを食わせろとか、女の股に抱きつかせろとかいうように、命令のかたちをとっている。それが命令である以上かならずやなにか神学的意味がふくまれていて、俗物がまださとりえないでいるところの、ものの譬になっているにちがいない。けだしナザレのイエスの言行に相比すべきものである。もしたれかが少年日常の行動を仔細に観察し、こ札を記録にとどめて集成したとすれば、「山上の垂訓」にくらべられるようなあたらしい約東の地の説教集が編まれるだろう。おもえば、あの風采とてもどうして大した貫禄のものであった。ボロとデキモノとウミとおそらくシラミとをもって鏤めた盛装は、威儀を正した王者でなくては、とても身につけられるものではない。わたしも平常おしゃれに憂身をやつしたいというひそかな念願があって、例の虚栄心で物資不足のおりずいぶん苦労しているが、まだまだ王者の盛装までには手がとどきそうもない。すでにして、敵はイエスである。わたしがムスビ屋の女を引張り合って手足をすりむいたぐらいのことは、まあ災難がかるかったと、あきらめるほかないだろう。わたしはすこし気がしずまって来た。


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