说到实子自我认识的话语,都是“倔强的我”“我的强大内心”“不服气”“好胜”“我的表面的不屈服”“我是胆小鬼”“相较于倔强的懦弱”“倔强的本质”“自大的我”“我深入骨髓的刚强性格”这样的话。在这里所说的“好胜”“不服气”“倔强”与其说是生来就有的性格还不如说是为了那“六件必须做的事”受到来自慎重和“定律”的强烈的影响。“自大”(形容所谓的“新女性”的常规句)同样,是“我”从教育和书本上后天掌握的,这个观念被称之为教养。可以说启蒙了现代女性新的生存方式。由于这样的‘观念’,“我”厌恶丈夫的插嘴、隐瞒和心灵的隔阂,变成了通宵责骂丈夫的妻子。本来,只不过是“胆小鬼”“不争气”的女性。
结果,使“我”不仅疏远了与丈夫之间的关系,与家里的佣人的关系也恶化了(可以想象在这期间的“我”,怎能不被认为是恶妻呢)。这样的漩涡中(“他的时刻”)的“我”,单方面的把丈夫当成恶人,并且深陷其中,头脑中满是自己是受害者意识。将自身的“不幸”,全部归咎于别人,悲叹着自己一生的“不幸”。
毫无隐瞒、关系平等的夫妇观和婚姻观衍生了这种“自以为是”,而这种夫妇观和婚姻观也是相当先进的西方思想。实子与一叶同时期写的《十三夜》里的阿关有本质上的区别,是“新”女性。阿关则是传统的日本女性,将“女子大学”的生存方式埋藏心底,不违抗丈夫,一直按丈夫说的做,除了做一个顺从的妻子其他的都不考虑。但是在《十三夜》中有阿关和那个有着开明思想的丈夫,奏任官原田勇之间产生了摩擦这样的情节。丈夫阿勇经过结婚后短暂的时间开始蔑视阿关“没有受过教育”,并且责骂她是“不能不责骂、不懂事的、根本不能商量问题”“没志气、没骨头的笨蛋”。总之,阿勇是想阿关像自己一样开明,他梦想着有一个可以快活的和丈夫交谈的知性的妻子。
但是,结婚七年后,心里想着“离婚”,回到自己家的阿关,一直都没能发觉丈夫的想法。母亲流着泪和父亲一起劝说阿关,像以前那样作为“原田太郎的母亲,在原田家忍耐着”,他们也没有发觉女婿的想法。只是在返回原田家的途中,阿关偶然遇见以前的恋人録之助,看到了録之助的“变样”,阿关想象着别人眼中看到的自己,这成为
思考“自己在丈夫眼中是怎样”这个问题的契机,这只是读者感觉到的(《十三夜》希望参考本书的“作品导读”)。
《这个孩子》里的“我”所说的“现在”是,要相信自己,并不是否定应有的近代的夫妻像。“实际上至今都在隐藏的事也有很多”“确实知道事实如此”心中藏着不能被满足的东西。但是,因为不能认识到自己的不足,性急地认为是丈夫的品行不端。反省后,“我”的自我批评的话是,“他的时代轻浮的我”“不能直视自己的缺点仅仅只是怨恨别人”“思想顽固、行为刻板”“好胜心”“成为了以自我为中心的妻子”等等话语被回顾着。像这样的“现在”的“我”的改变(成长?)在于开始注重平凡的日常生活。“我”通过客观的、冷静的自我省察,就能像现在这样一直的做好吧。由于生活的现实,而成为了像实子这样的能“自我思考”的妻子。
実子の語る自己認識の言葉を拾ってみると、「剛情我まんの私」「私の生意気の心」「負けない気」「勝気」「私のやうな表むきの負けるぎらひ」「私は泣虫」「強情の割合に腑甲斐ない」「我まんの生地」「私が生意気」「私の剛情の根が深く」といったものである。ここでいう「勝気」「負けない気」「強情」とは,生来の性格というだけではなくむしろ「六づかしい事を遣りのける」ためには大事と「仰しやるお方」の言葉からの影響が強い。「生意気」(いわゆる「新しい女」を形容する常套句でもあった)同様、「私」が教育や書物から後天的に身につけた、教養というか観念である。いわば近代的女性の生き方として、啓蒙されたものであり、この<観念>ゆえり、「私」は夫へ「口を出し」、夫の「かくし立」「お隔て心」を嫌悪し、徹夜的に責め立てる妻になっていったのである。本来、「泣虫」「腑甲斐ない」女性に過ぎなかったのに。
その結果、夫との関係を見失ったばかりか、家の使用人との関係も悪化させていった(この間の「私」を想像すると、どう考えても悪妻としか思えない)。こうした渦中(「彼の頃」)の「私」は、一方的に夫を悪者に仕立て、その<思い込み>の強さのために被害者意識で一杯であった。自分の身の「不運」を、すべて他者のせいに還元し、自分の一生の「不幸」を嘆いていたのである。
こうした<思い込み>を作り出す発端となった、隠し事のない対等な夫婦という、「私」の理想とする夫婦観.結婚観は、やはりこの時代にあったは、かなり先進的.西欧的なものであろう。実子は、同時期に一葉が書いた「十三夜」のお関とは決定的に異なる、<新しい>女性である。お関は、伝統的な日本の女性の徳義、「女大学」的生き方を内面化している女性であった。夫に逆らわず、夫の言うがままに、忍従の妻として生きていく以外思いも及ばなかったのだある。それが開明主義的考えをもつ夫、奏任官.原田勇との関係に齟齬をきたすような事態を生み出していた節も、なきにしもあらずであった。夫の勇は、結婚後しばらく経った頃から「二言目には教育のない身、教育のない身と」蔑み、「詰まらぬくだらぬ、解らぬ奴、とても相談の相手にはならぬ」「張も意気地もない愚うたらの奴」とお関を責めたようである。つまり、勇は勇なりに、快活で、夫の相談相手になるような知的な妻像を夢想していたようである。
しかし、結婚七年後に、「離婚」を胸に、実家に帰ってきた時のお関は、いまだそのことに気づいているようには思えない。いままで通り「原田太郎の母」として、原田家で耐えろと、涙とともに娘を説得する父親も、当然ながら気づいていない。ただ、帰っていく途中で、偶然、かつての恋人録之助の<変貌>に出会ったお関に、他者の眼に映る自分への想像力が生まれてくる暗示が、つまり夫の眼に自分がどう映っていたのかに思い至る契機が、読者に感じられるだけである(「十三夜」については本書の「作品案内」も参照してほしい)。
「この子」の「私」は、語っている「今」も、自分のよしと信ずる、あるべき近代的夫婦像を否定しているわけではない。「現に今でも隠していらっしやる事は夥しく有」る「たしかに左様と知って居」ると、心のどこかに満たされないものを抱えてはいる。しかし、自分にも足りないところがあったために、性急に、夫をも不品行へと追い込んでいったと反省していくのである。「私」の自己批評の言葉は、「彼の時代のやうな蓮葉な私」「我が身の心をため直さうとはしないで人ごとばかり恨めしく思はれ」「其やうな詰らぬ考へを持って、詰らぬ仕向けを致しまする妻」「勝手気儘の身持をして」「妻たる者の風上へも置かれぬ女」等々と繰り返される。こうした「今」の「私」への変容(成長?)は、平凡な日常生活のなかで重ねられた、「私」自身の現実的.冷静な自己省察によってなされたと、ひとまずいってよいだろう。現実に既して、自ら<考える>妻として、実子はあるのである。
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