あをによし奈良の山なる黒木もち_日语外文翻译
编 辑:日语论文网发布时间:2018-10-09

在日本建筑方面,意识到窗的机能和独特设计所带来的效果是从草庵茶室的登场开始的。

初期的茶室,就像村田珠光、武野邵鸥的茶室那样,是没有窗户的,只用面对走廊兼出入口的拉窗来采光。到了千利休(1522-91)的时代,茶室去除了走廊,逐渐向宽度比四张半榻榻米还窄小的,四周由土墙围绕着的封闭结构发展。而且,对于明暗感觉会更加敏锐,茶人们就创造出了立体的、富有趣味的窗户。特别是,把土壁没有涂掉的一部分做成地下窗,可以自由决定位置、形状和大小,能够很好地表现出室内微妙的明暗变化。

利休死后,由于明朗和富有通融性的茶法而得到广泛支持的古田织部,与利休旨在创造出封闭性强、求道的空间的理念不同,更喜欢在室内设计中导入视觉的变化,这样的茶室是由绘画为主体的壁面构成,相应的窗子也比较多。

圆木和竹

在《万叶集》里能够看到吐露宫廷人心情的诗。

伐奈良山黒木造屋

居万代亦觉悠然。

只有住在用奈良的山里砍伐出来的黑木(没有经过加工制造的没去皮的圆木)建造的房屋里才能得到平静和安稳,这首和歌据说是圣武天皇的作品。

像这样,对于用圆木建的茅屋的亲近感,由中世、近世继承下来。足利义政(1436-90)的府邸·室町殿有黑木建造的茶屋,山庄·东山殿(义政死后,慈照寺后称作银阁寺)里建有竹屋(竹亭、淑藓亭)。让人感到柔软的、纤细的,又兼具强劲韧性的竹子,是在与自然共存的日本住宅里,随处可见的普通材料。

茶屋是宽松的氛围里用来举行宴会游艺的。对于不拘泥于建筑形式的茶屋来说,圆木和竹子是最适合的材料。圆木和竹子,天然材料所附带的价值被认为远远超过人工材料,怀着这样的心理,以融入自然景趣的造型为基础,竹和圆木成为茶室的主材料。用圆木和竹构造的茶室式建筑的技术,即使在日本建筑里也必定是经过洗练的,这种技术是在这样的场合里被培养出来的。


日本建築において、窓の機能や意匠の及ぼす効果が意識されるのは草庵茶室の登場とともに始まる。 

初期の茶室、すなわち村田珠光や武野紹鷗の茶室に窓はなく、縁に面して出入口を兼ねる障子を通してのみ採光されていた。千利休(1522〜91)の時代になり、縁が取り除かれ、広さも四畳半より狭められて土壁で囲まれた閉鎖的な構造に進む。そして明暗に対する細やかな感覚が鋭く研ぎ澄まされ、茶人たちは立体的で妙味に富んだ独創的な窓を創出した。ことに土壁の一部を塗り残すことでつくられる下地窓は、位置や形、大きさを自由に決めることができるので、室内の微妙な明暗を効果的に演出するのに適している。

利休の没後、明朗で融通性に富む茶法によって広汎な支持を受けた古田織部(1544〜1615)は、利休が閉鎖性の強い、求道的な空間の創出を目指したのに対し、視覚的な変化を室内の意匠に導入し、絵画的構成を主体とした壁面の組み合わせによる、窓の多い茶室を好んだ。 

[ 丸太と竹 ]

古代の宮廷人の心情が吐露されている歌が『万葉集』におさめられている。

あをによし奈良の山なる黒木もち

造れる室は座せど飽かぬかも

奈良の山から伐り出した黒木(製材加工していない皮付き丸太)でつくった家にいるときこそ平穏な安らぎを得ることができる、という聖武天皇の作である。

このような、丸太造りの茅屋に対する親近感は、中世、近世を通じて継承されていく。足利義政(1436〜90)は邸宅・室町殿に黒木造りの茶屋をつくり、山荘・東山殿(義政の死後、慈照寺=銀閣寺となる)には竹の茶屋(竹亭、漱蘚亭)をつくっていた。やわらかさや繊細さを感じさせ、物理的な強さをあわせもつ竹も、自然と共存してきた日本の住まいには身近で入手しやすい素材であった。

くつろいだ雰囲気のなかで気軽な宴遊に使われたのが茶屋である。形式にとらわれない建築表現が可能であった茶屋にとって、丸太(黒木)や竹はもっともふさわしい素材であった。丸太や竹は、自然のもつ働きに人工以上の価値を認めるという心情に支えられて、自然の景趣を導入することに造形の基点を置く茶室の主材料となる。丸太や竹で組み立てる数寄屋の技術は、日本建築のなかでももっとも洗練を経たものであるが、その技術はこのような場で育て上げられてきたのである。

日本泡沫经济 http://www.rylww.com/jingji/

日本人的生死观 http://www.rylww.com/shengsi/

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