“南波”、“踏脚”、“直蹲”、“自然体”这四种动作原来是从日本人的生活习惯中产生的,在祭神仪式中被人们继承,并固定下来作为相扑的基本动作。在相扑中,“畏首畏尾”是会被人嘲笑的。腰部的力量是要通过“南波”、“踏脚”、“直蹲”、“自然体”来训练的,如果不锻炼是无法掌握的。齐藤认为,通过“南波”、“踏脚”、“直蹲”、“自然体”的训练可以把腰和腹的垂直方向当作中心轴,利用身体的技法来感觉中心轴的存在,人们就能切实的感受自己的身体。然而现在,那样的技法已经丢失了。
据说现在少年相扑的教练根本不是从下腰、张腿、屈膝开始教,而是必须让孩子们克服抵抗赤着脚、光着身体这一方面开始的。到现在为止在日本还没见到连光着身子与人对抗的经验也没有就长大的男孩子。对于不知道下腰、张腿、屈膝这个动作所带来的感觉的人来说,在人生的重要时刻,很难想象将“认真”这个词作为他的精神支柱。如果失去了对腰和腹部的感知,就会失去更多关于腰和腹部连带的丰富的精神财富。
齐藤认为这个结果加速了“只在乎别人的评价,不在乎自己的感觉,只用现场情绪化的方式来作反映的倾向”。“变得肤浅、没毅力、大动肝火这些词的流行,就是它的体现。腰腹文化成为了《器》这个课题的共通文化。(中略)虽然没有完全继承传统的身体文化,但现在大动肝火这些词还是继续盛行下去了。”
直到战前,仍有很多孩子在外面玩耍时,会将相扑作为游玩项目,来积累“南波”、“踏脚”、“直蹲”、“自然体”这些传统动作的经验。在被近代运动、近代体育束缚之前,至少对日本的传统动作还是有所了解。可是,“由于战败,很大程度上中断了身体文化的继承”。日本传统运动之所以会面临继承的危机,是因为它和近代运动、近代体育在身体文化的教育上是不同的。因此,在学校的教育中,有必要采取措施,保障“南波”、“踏脚”、“直蹲”、“自然体”这些“腰腹文化”的传承,把“腰腹文化”作为相扑课程的基础动作,只有这样,才能说有可能将“腰腹文化”继承下去。
「なんば」「四股」「蹲踞」「自然体」は元来、農耕民族としての日本人の生活習慣の中から生まれ、神事 祭のなかで人々に受け継がれ、相撲の基本動作として定着した動きであった。相撲においては、腰の入らない「へっぴり腰」は嘲笑の対象である。腰の入れ方は「なんば」「四股」「蹲踞」「自然体」を修練によって鍛えなければ身につかない。斉藤によれば、「なんば」「四股」「蹲踞」「自然体」を修練によって、腰と肚に垂直方向の中心軸が置かれ、この中心軸を自覚する身体技法によって、ひとは自分自身の身体を実感してきたのである。ところが、現在では、そのような技法が見失われている。
現在、少年相撲の指導者は「腰を割る」どころか、裸足になり裸になる抵抗を除くところから始めねばならなくなったという。裸になって人とぶつかる経験もないままに大人になった男の子は、これまで日本では見られなかったタイプの男の子である。「腰を入れる」動作が実感としてわからない人間にとって、人生のある重要な局面で「腰を入れる」という言葉が、心の支えとなることは考えにくい。腰や肚の実感が失われれば、腰や肚にまつわる多様な表現がもつ豊かな精神的な遺産の多くが失われていくのは避けがたい。
斉藤は、その結果、「他者の評価の視線ばかりを気にして、自己の中心の感覚を持たず、その場かぎりの感情レベルで反応する傾向」が加速化していると言う。「息は浅くなり、根気も薄れている。ムカツク キレるという言葉の流行は、その現れである。腰肚文化は、『器』を自己形成の課題とする共通文化を担っていた。(中略)伝統的な身体文化を、文化としてきちんと継承してこなかったツケが、今、ムカツク キレるの隆盛となって回ってきている」と言うのである。
戦前まではそれでも、多くの子どもたちは外で遊び、相撲遊びをし、「なんば」「四股」「蹲踞」「自然体」と呼ばれる伝統的な動作の経験をした。近代スポーツや近代体育の枠組みに捉えられるより以前に、日本の伝統的な動作を多少なりとも経験していたのである。だが、「敗戦によって、伝統的な身体文化の継承は大きく断絶」してしまった。日本の伝統的な動きであり、近代スポーツや近代体育とは異なる「腰」や「肚」に力を込めることを教える身体文化は、継承の危機を迎えている。ここにわれわれは「なんば」「四股」「蹲踞」「自然体」といった「腰肚文化」の伝承を学校教育のなかで保障する必要を見て取ることができるのであり、「腰肚文化」を基礎的な動作とする「相撲」の授業にこそ、「腰肚文化」伝承の可能性があると言えるのである。
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