要是捕捉日本酒国际化的具体现象,我要归结外国人喝日本酒的行为。但是外国人什么时候开始喝日本酒,为了思考这一点就要研究洋酒进入日本的过程,大致参考确认麻井宇介氏(酒文化研究者)的著作(《比较葡萄酒文化》《喝醉的反应》等。
进入日本的洋酒刚开始被接纳的是啤酒。明治时期啤酒正式进入日本,最初居酒屋并没卖,而是在药店和杂货店卖。以对西洋文明的向往为背景,大力宣传啤酒对健康有益,有营养,以此招揽客人。于是在20~30年代间变得非常火。啤酒比威士忌和葡萄酒早普及的理由是低酒精,止渴饮料的特性。在日本有这种特性的酒还不存在。在清凉饮料和酒的分界线上有啤酒,新的饮酒场面创造出了。
另一个普及的是威士忌,普遍在战后掺水分喝。因此威士忌不是因为本身厚重和能使人奢侈的醉了而被接受,日本以其独特的形式普及。这个时代,是高度经济成长上升志向的极强时期。或者从乡村进入城市的大规模迁移时期,这个时代背景,由于向往欧洲和城市,成为了普及的最大原因,这与威士忌制造者提出“等级提高”相匹配,这是威士忌能够普及的重要原因。
日本酒の国際化を具体的な現象で捉えるならぼ、外国人が日本酒を飲むという行為に帰結しよう。ではどのような時に外国人は日本酒を飲もうと思うのであろうか。この点を考えるために、洋酒が日本に入ってきたプロセスを、麻井宇介氏(酒文化研究者)らの著作(「比較ワイン文化考」「酔いのうつろい」など)などを参考に大雑把に確認しておこう。
日本に入ってきた洋酒で最初に受け入れられたのはビールである。明治期にビールが本格的に日本に入ってきたが、当初は酒屋ではあまり売られず薬屋や輸入雑貨の店で売られた。西洋文明へのあこがれを背景に、ビールは健康によいとか栄養があるという点が強く訴求されたようである。そして20~30年の問に一般にも広く飲まれるようになっていく。ビールがウイスキーやワインよりも早く普及した理由として、低アルコールの止渇飲料として飲まれる特性があげられる。日本にはこのような特性をもった酒は存在しなかったからである。清涼飲料と酒の境界線の上にビールがあり、新しい飲酒シーンを創り出していった。
次に普及したのはウイスキーで、一般化するのは戦後水割りで飲まれるようになってからである。したがってウイスキーそのものの重厚で贅沢な酔いが受け入れられたのではなかった。日本独特の形で普及したのである。この時代は、高度経済成長という上昇志向の極めて強い時期であり、都市化が急速に進んだ時期である。あるいは田舎から都会へ人が大規模に移動した時期である。こうした時代背景をもって、欧米への憧れや都会への憧れがウイスキーに投影されたことが、その普及の大きな要因であった。そしてウイスキーメーカーが打ち出したグレードアップの戦略がピッタリマッチしたことが、ウイスキーの普及を一層促進した。