太宰治以“度过了耻辱的一生”这句话为开头,用大庭叶藏的手记形式,通过全文描写了何谓“耻辱的一生”,这本书文章开头的这一行表现了太宰治真挚的思想,这也是贯穿本小说的重要内容。
《第一手记》描写了少年时代对人的恐怖和绝望。因此采取了极尽忍耐去逗笑的一种处世方式,作为他对人的最后的求爱手段。他不理解人的生活,不知道周围人的想法,对周围的人抱有“不安”和“恐惧”感,几乎不能与他人交流。因此还是扮演丑角好,以此为主题描写主人公。
《第二手记》依旧是写从初中到高中期间,叶藏由于对人惧怕而产生对他人的“不信任”和“绝望”,中学时期他的完美演技被白痴一样的同学竹一看穿,竹一预言叶藏会“被女人迷恋”,会“成为伟大的画家”。来到东京的叶藏,从平民区出身的画画的堀木身上学到了“抽烟、喝酒、嫖娼、当铺以及左翼思想”,通过这些来消除对人的恐惧。他协助非法运动,又从运动中逃离出来。叶藏遇到了与自己境遇相似的银座咖啡屋的女招待,“像被一股冷得刺骨的寒风包围,只像枯木一般的落叶狂舞着,感觉孤僻的女人”,并被她吸引,不久一起去殉情,只有自己获救了。本文主要描写主人公的负罪感。
太宰は、大庭葉蔵の手記という形で、「恥の多い生涯を送って来ました」と書き出し、その「恥の多い生涯」がどのようであったかの顚末を全篇を通じて描いている。この書き出しの一行に、作者太宰の真摯な思いの全てが塗込められ、それはこの作品を貫く重要なキーワードとなっている。
「第一の手記」に描かれている内容は、少年時代の自分がいかに人間を恐怖し絶望したかについてである。そして、そこから「道化」という一種の処世術を案出することによって必死に耐えている様子が、それも人間に対する最後の求愛の手段として描かれている。自分には人間の生活というものが見当つかず、隣人が何を考えているのかわけがわからず、<不安>と<恐怖>に襲われてほとんど人と会話を持つこともできない。そこから考え出されたのが<道化>だといい、それをモチーフとして主人公を描いている。
「第二の手記」は、中学から高校時代、相変わらず続く人間恐怖による<人間不信>及び<絶望>に中で、中学時代彼の完璧の演技を看破った白痴に似た竹一は、葉蔵に対して「女に惚れられる」「偉い絵画きになる」と二つの予言をした。上京した葉蔵は、下町生れの画学生堀木によって「酒と煙草と淫売婦と左翼思想とを知らされ」、それによって人間恐怖を紛らせ、「非合法の匂ひが気に入って」政治運動の手伝いをしながら棲息を続けたがそこからも逃げて、葉蔵と境遇の似ている「身のまはりに冷たい木枯しが吹いて、落葉だけが舞ひ狂ひ、完全に孤立している感じの女」、銀座のカフェの女給に心ひかれ、やがて彼女と心中未遂事件をひき起し、自分だけ助かるという経緯である。いわば、<罪>を負う姿勢をモチーフ主人公を描いている。