家庭の幸福は諸悪の本_日语外文翻译
编 辑:日语论文网发布时间:2018-10-07

仔细研究太宰治战后的一系列作品,会意识到追究的“家”的问题有显著的倾向性。比如,《维荣的妻子》《父亲》《母亲》《大叔》《接待夫人》《家庭的幸福》《樱桃》等,都或多或少与“家”的问题有所关联。太宰治在自己的作品中提到“我的视线,常常朝向人类的“家””(《家庭的幸福》)。应该破坏这个视线所注视的“家”,这样的观念纠缠着太宰治。题为《家庭的幸福》(昭和23年8月)的作品以 “家庭的幸福是罪孽的根源”为终结,并没有忽视隐藏在家庭幸福背后的利己主义,并且在他的作品中随处可见他的这些观点。

还有《人间失格》的《第一手记》和《第二手记》,因为与作者的传记事实相符合的点很多,所以被认为是自传小说。另外,大部分虚构的《第三手记》,加上太宰治自杀这种震惊的事件,让人意识到大庭叶藏就是太宰治本人。还有,从作家论的观点评价《人间失格》为一部优秀的作品,是因为作者如实地并无拘无束地描述自己的人生,作为一部艺术品来完成。加之,支撑本作品的是一种“错觉”,读者从作者描绘的事物联想到自身,从而与作者产生共鸣。通过事实与虚构方式表达的双重性的魅力,在这个作品中充分的发挥,从作品自身的完成度来看,此部作品似乎像自写的私小说的集大成,因没有更深的进展而结束。


太宰の戦後の一連の作品を丹念に辿ってゆくとき、やはりそこに<家>の問題が著しい傾向性をもって追及されていることに気づくのである。例えば、『ヴィヨンの妻』『父』『母』『お父さん』『饗応夫人』『家庭の幸福』『桜桃』など、いずれも多かれ少なかれ<家>の問題に関連を持つ作品だといえる。太宰が自ら作品の中で「私の視線は、いつも人間の<家>のはうに向いてゐる」(『家庭の幸福』)といったが、いつも視線がその方向に向いていたその<家>こそ、家庭こそ破壊しなければだめだという観念が太宰につきまとっていたのではないか。『家庭の幸福』(昭和23.8)と題する作品で「家庭の幸福は諸悪の本」と結びを選んだが、家庭の幸福の根底に潜んでいるエゴイズムを太宰は見逃さず作品の随所に描いた。

そして『人間失格』の「第一の手記」「第二の手記」は、作者の伝記的事実と余りにも符合している点が多いところから、自伝小説と受けとめられている。また、大半が虚構の「第三の手記」にあっても、当時太宰の自殺という衝撃的な出来事が加わって、大庭葉蔵はイコール太宰治であると捉えられた節がある。が、作家論的な視点からの評価において、この作品が優れていると思われるのは、何といっても今までの全生涯を赤裸々に、しかも突き放した形で芸術作品として造型したことにある。そして、その作品を支えているのはある種の<錯覚>であって、それを読者は、作者自身のこととして捉え、延いては自分のこととして捉えることから共感を覚えるのだろう。事実と虚構というフィルターを通して訴えた二重構造の魅力は、この作品でも遺憾なく発揮されたが、作品自体の完成度からすると自作の私小説風の作品を集大成したような進展のないものに終っている。


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