平成21年度茨城大学卒業式_日语外文翻译
编 辑:日语论文网发布时间:2018-10-05

春天来了。樱花也竞相绽放。值此今日,恭喜茨城大学的2108名学生顺利毕业。同时,对鼓励和支持各位学生的家长和相关人士,表示衷心的祝福。

最近,日本的产业界和教育界,关于日本人的“伦理观”方面的评论颇多。故此,在此我想关于“日本人的伦理观”谈谈自己的看法。

日本社会,最近有很多不幸的事发生。比如,突发无目标性的连环杀人事件,年轻夫妇虐待儿童的事件,伪造商品的保质期和原产地事件等。另外,公务员和公司员工不正当的财务问题,政治家的道德水平显著下降,大麻等毒品在学生中蔓延等被报道出来。这些社会上不良的事件产生的原因,我认为是日本人缺少“伦理观”意识。

在欧美,有以基督教为基准的“伦理观”,在贫民区各国有以伊斯兰教为基准的“伦理观”。可是,在日本,以宗教为基准的“伦理观”的意识很薄弱。当然,不以宗教为基准的“伦理观”也有很多。比如,“人道主义”,“博爱主义”,“科学万能主义”,“自由主义”,“巧利主义”,“个人主义”等。其中,我想简单的谈谈 “个人主义”。

著名的小说家夏目漱石在大正初期,在学习院大学发表过演讲,内容以短篇小说《我的个人主义》为形式出版了。这一“个人主义”最清楚地表现了夏目漱石的人生观,请容粗略介绍。大部分的人都认为“自己想自由的生活”,于是也不想侵害他人的这一权利。这种情况下,他人应该也怀有同样的“想自由的生活”的想法,于是彼此便会尊重彼此的权利。总而言之,夏目漱石认为,所有的人都互相承认对方的“想自由生活”的权利。这是夏目漱石的“个人主义”,特别的简单朴实,浅显易懂。

可是,夏目漱石的“个人主义”是大约100多年前的事了,而如今的大正初期经济飞速发展,社会也日益复杂,两者非同日而语了。因此,对于夏目漱石的“个人主义”,有许多现代性的问题涌现出来。


すっかり春めいて参りました。桜の花もほころび始めている今日この頃でございます。本日、茨城大学をご卒業される2,108 名の皆さん、ご卒業、おめでとうございます。また、学生諸君を励ましつつ、ご支援をしてくださいましたご家族の方や関係者の方にも、心よりお祝いを申し上げます。

さて、最近、日本の産業界の方や教育界の方から、日本人の「倫理観」についての論評を聞くことが多くなりました。そこで、今日は皆さんに「日本人の倫理観」について私の考えをお話してみたいと思います。

最近の日本社会では、いろいろな不祥事が多発しています。たとえば、不特定多数の殺人事件が突如発生したり、若い夫婦が我が子を虐待したり、賞味期限や原産国等の商品表示に偽りがあったりします。また、公務員や会社員が不正経理をする、政治家のモラルが著しく低下している、大麻などの麻薬が学生等に蔓延している、などが報じられています。これらの社会的不祥事は、日本人に「倫理観」が欠如しているのが原因であるとの意見があります。

欧米では、キリスト教に基づいた「倫理観」があり、スラム諸国にはイスラム教に基づいた「倫理観」があります。しかし、日本人の場合、宗教に基づいた「倫理観」は比較的希薄のように思います。もちろん、宗教に基づかない「倫理観」もいろいろあります。たとえば、「ヒューマニズム」、「博愛主義」、「科学万能主義」、「自由主義」、「巧利主義」、「個人主義」などです。このうち、私は「個人主義」について、ここで簡単にお話したいと思います。

かの有名な小説家「夏目漱石」は大正初期に学習院大学で講演し、その内容を短編小説「私の個人主義」として出版しています。この「個人主義」は夏目漱石の人生観を端的に表していて、大まかには次のようなものです。人は一般に「自分は自由に生きたい」と考えているので、他人にこの権利を侵害されたくないと思っています。この場合、他人も同じように「自由に生きたい」と考えているはずだから、他人の権利も同時に尊重しなければなりません。要するに、夏目漱石の考えは、「自分は自由に生きたい」という権利を全ての人が互いに認め合いましょうということです。これが夏目漱石の「個人主義」であり,大変シンプルで、かつ、分かり易い考えです。

しかしながら、この夏目漱石の「個人主義」は約100 年も昔のことであり、現在の日本社会は大正初期の社会とは比較にならないほど、高度に発展した複雑な社会になっています。したがって、夏目漱石の「個人主義」に対して、いくつかの現代的疑問が湧いてきます。

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