还有,外来语的使用意识根据使用者年龄,职业,教育等不同而不同,也有与外语的差异以及社会容忍度。同时,这也是与不同文化社会接触的痕迹,因此可以考察不同文化之间的交流现象和外来语的使用意识。例如,近年大量滥用外来语,助长这个倾向的商业广告和服务业也发展起来,这些被批判助长了外来语的泛滥。正因为如此,思考社会需求与母语的关系才得到关注。但是,日语因为外语而面临被淡化的危机,现在比起以前,更是如此。曾经日本人从现在韩国西部的百济国学习了汉字,初次接触到文字,日本人很震惊。日本人吸收新的优秀的东西这种意识从古至今是从未改变的。日本人也没有充分考虑把汉字用进日语是不是适合。日本人很敬畏汉字,立刻全身心投入学习。但是,汉字是中国的文字,学习汉字就是学习中文。因此,最初的时候,用文字写的都是中文。他们说的语言是日语,写的语言是中文—这是口头语和书面语的不同,在这期间一直持续了很久。
《日语的将来》(柴田武.梅掉中夫.司会—金田—春彦)中有未来的日本是说英语的国家的这种看法,这个恐怕是极端的预测。如果照这样形式发展下去的话,日本在词语方面多少会成为说英语的国家。也有人主张日语变成的英语的一种方言。对于日式英语有一部分人表示不满。但是,日本人有制造日式英语的经验。明治以后,制作了所谓的汉语词汇。其中也有连中国人也不能理解的日式中文。我们不能说之后发生类似的事情。现在的日本人,吸收欧美的全部的优点,从欧美的政治制度到人的意识形态到语言,全部学习,非常贪婪。对于未来的日本,特别是在语言的方面,也许从描绘西欧社会的理想未来的角度来考虑日语的问题比较好。
また、外来語使用の意識も使用者の年齢、職業、教育などによって異なり、外国語との違いや社会的容認度などもさまざまだが、それは同時に、異文化社会との接触の跡を裏付けるもので、そこで異文化間交流とその意識のありようを観察することもできる。例えば、近年の外来語の多用が、カタカナ語の氾濫として批判される一方で、そうした傾向を助長するようなコマーシャルやサービス産業も発達してきているように、社会の要請と人々の母語意識との関係を考える問題として注目されてきているという。しかし、日本語が外国語のために消されそうになった危機は、今の時代よりむしろ上代にあった。かつて、日本人は今の韓国の西部に建国した百済の国から漢字を学び、初めて書籍に接したという。文字というものをはじめてみる日本人の驚きは大きかった。日本人が新しい優れたものを認め取り入れる熱意は昔も今も変わらなかった。漢字は日本語を写すに適当な文字かどうかを考える余裕もなく、日本人はあっさりそれを畏敬し、すぐにそれを学ぶことに全力をあげたが、しかし漢字は中国語を写す文字である。漢字を習うことは中国語を習うことだった。だから最初の頃は、文字で書くものはすべて中国語であったが、話し言葉は日本語で、書く言葉は中国語――それはずいぶん激しい言文二途であった。この期間は長いこと続いたらしい。対談『日本語の将来』(柴田武・梅掉忠夫・司会——金田一春彦)によれば、未来の日本は英語国だという意見もある。これはおそらく多少極端な予測であるかも知れないが、このままの勢いで行くと、日本も少なくとも語彙の面では英語国の一つになるのではないか、英語の日本方言ができるのではないか、と主張する人もいる。和製英語に対しては一部の人は顔をしかめるが、しかし日本人はすでに「和製中国語」作りで経験済みなのである。明治以後,膨大な量の、いわゆる「漢語」を作ったが、その中には、中国では通じないような和製中国語がある。それ と同じことが起きる可能性がないとは言えない。今の日本人は 欧米のすべてを優れたものとして受け入れようとしている。欧 米の政治制度から人のイデオロギーまですべてまねをし,言葉の勉強にまで全力をあげ、貪っている。未来の日本については、特に語彙の面では、西欧社会のビジョンを描いて日本語の問題 を考える方がよいかもしれない。