日本文化受到不同时期外来文化的刺激可以分为两个时期。一个是16世纪以前,主要是受到中国和印度大陆文化的刺激。另一个是16世纪以后,主要受到欧洲各国文化的刺激,占外来语90%的英语是明治(1868-1911)输入的,期中二战后的输入尤为明显。
16世纪以前的外来语,主要是从亚洲各国借鉴而来,主要是以汉语为中心的。除此之外,还有从阿伊努族、朝鲜语、梵语等借鉴的。汉语传入初期,是作为外来的语言,但是现在和和语相交融,日本人不把它作为一种外来语而接受,而是把汉字系统化,把它称为日语的一部分,所以本篇论文想定义的外来语是从16世纪以后汉语以外的语言输入。
16世纪以后的外来语,首先是以1543年葡萄牙人在种子岛的漂流为契机,从室町末期到江户前期引进的。主要有葡萄牙语,西班牙语,荷兰语等。在这期间,由于葡萄牙独占了闭关锁国的日本贸易,因此如今的日语中残存了很多葡萄牙语。从幕府到明治时期,外来语中英语,德语,法语,意大利语,俄罗斯语,希腊语,拉丁语的数量急速增加,特别是英语在现在外来语中的数量最多。学术用语是用希腊语和拉丁语的。医学、哲学、登山用语是用德语的,艺术和服装,与料理相关的是用法语的,与音乐相关的是用意大利语的。外来语就是以吸收各个领域文化作为背景的。
日本文化が外来文化に触発された時期が大きく二つに分けられる。一つは 16 世紀以前のことで、主に中国やインドなどからの大陸文化による触発で、もう一つは 16 世紀以後のことで、主にヨーロッパ諸国による触発であった。外来語の 90%を占めると言われる英語の進入は明治(1868~1911)以後のことで、特に戦後の進入が激しかった。
16 世紀以前の外来語は、主としてアジア諸国から来たもので、その中心は漢語であった。そのほかにまだアイヌ語、朝鮮語,梵語などによるものもある。漢語は伝来当初の意識としては、外来の語であったが、現在では和語と紛らわしいものもあり、日本人は漢語を外來語として受容するのではなく、漢字をシステムとして血肉化し、日本語の一部に組込んだために、本論では外来語の定義を 16 世紀以降の漢語以外の言語からきたものに定義したい。
16 世紀以後の外来語は、まず 1543 年のポルトガル人の種子島漂着をきっかけとして、室町(1392~1573)末期から江戸(1603~1867)前期にかけて入ってきたものは、主にポルトガル語,スペイン語、オランダ語などであった。これらのうち、オランダ語は鎖国中の日本貿易を独占していた関係上、比較的に多く今日の日本の言葉に残っている。幕末から明治にかけて、急激に増えたのが英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語,ロシア語,ギリシャ語,ラテン語で,特に英語は現在の外来語の中で最も数が多いが,学術用語ではギリシャ語やラテン語,医学・哲学・登山用語はドイツ語、芸術や服飾、料理関係はフランス語、音楽関係はイタリア語というように、外来語の背景にはそれぞれの分野での文化受容の歴史があった。