皇上常谓藤壶女御名重天下,把她看作盖世无双的美人。但源氏公子的相貌,比她更加光彩焕发,艳丽动人,因此世人称他为“光华公子”(光君)。藤壶女御和源氏公子并受皇上宠爱,因此世人称她为“昭阳妃子”。
源氏公子作童子装束,娇艳可爱,改装是可惜的。但到了十二岁上,照例须举行冠礼,改作成人装束。为了举办这仪式,皇上日夜操心,躬亲指挥。在例行制度之外,又添加种种排场,规模十分盛大。当年皇太子的冠礼,在紫宸殿举行,非常隆重;此次源氏公子的冠礼,务求不亚于那一次。各处的飨宴,向来由内藏寮及谷仓院当作公事办理。但皇上深恐他们办得不周到,因此颁布特旨,责令办得尽善尽美。在皇上所常居的清凉殿的东厢里,朝东设置皇上的玉座,玉座前面设置冠者源氏及加冠大臣的坐位。
源氏公子于申时上殿。他的童发梳成‘总角’,左右分开,在耳旁挽成双髻,娇艳可爱。现在要他改作成人装束,甚是可惜!剪发之事,由大藏卿执行。将此青丝美发剪短,实在不忍下手。此时皇上又记念起他母亲桐壶更衣来。他想:如果更衣见此光景,不知作何感想。一阵心酸,几乎堕泪,好容易隐忍下去。
源氏公子加冠之后,赴休息室,换了成人装束,再上殿来,向皇上拜舞。观者睹此情景,无不赞叹流泪。皇上看了,感动更深,难于禁受。昔日的悲哀,近来有时得以忘怀,而今重又涌上心头。此次加冠,他很担心,生怕源氏公子天真烂漫之风姿由于改装而减色。岂知改装之后,越发俊美可爱了。
「彼を愛しておやりなさい。ふしぎなほど、あなたとこの子の母とは似ているのです。失礼だと思わずにかわいがってやってください。この子の目つき顔つきがまたよく母に似ていますから、この子とあなたとを母と子と見てもよい気がします」
など、帝がおとりなしなると、子ども心にも花や紅葉の美しい枝は、まずこの宮へさしあげたい、自分の好意を受けていただきたいというこんな態度をとるようになった。現在の弘徽殿の女御の嫉妬の対象は藤壺の宮であったから、その方へ好意を寄せる源氏に、一時忘れられていた旧怨も再燃して憎しみをもつことになった。女御が自慢にし、ほめられてもおいでになる幼内親王の美を遠く超えた源氏の美貌を、世間の人はいいあらわすために光君といった。女御として藤壺の宮のご寵愛が並びないものであったから対句のように作って、輝く日の宮と一方を申していた。
源氏の君の美しい童形をいつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、いよいよ十二の歳に元服をおさせになることになった。その式の準備もなにも帝ご自身でお指図になった。前に東宮のご元服の式を紫宸殿であげられたときの派手やかさに落さず、その日、官人たちが各階級別々にさずかる響宴の仕度を内蔵寮、穀倉院などでするのは、つまり公式の仕度で、それではじゅうぶんでないと思召して、特に仰せがあって、それらも華麗をきわめたものにされた。
清涼殿は東面しているが、お庭の前のお座敷に玉座の椅子がすえられ、元服される皇子の席、加冠役の大臣の席がそのお前にできていた。午後四時に源氏の君が参った。上で二つに分けて耳のところで輪にした童形の礼髪を結った源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくことが不可能なのであろうかと惜しまれた。理髪の役は大蔵卿である、美しい髪を短く切るのを惜しく思うふうであった。帝は御息所がこの式を見たならばと、昔をお思い出しになることによって堪えがたくなる悲しみをおさえておいでになった。加冠が終って、いったん休息所にさがり、そこで源氏は服をかえて庭上の拝をした。参列の諸員はみな小さい大宮人の美に感激の涙をこぼしていた。帝はましてご自制されがたいご感情があった。藤壺の宮をお得になって以来、まぎれておいでになることもあった昔の哀愁が今一度にお胸へ帰ってきたのである。まだ小さくて、おとなの頭の形になることは、その人の美を損じさせはしないかというご懸念もおありになったのであるが、源氏の君には今驚かれるほどの新彩が加わって見えた。