どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深いご寵愛を得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力にたのむところがあって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬の炎を燃やさないわけもなかった。夜の御殿の宿直所からさがる朝、つづいてその人ばかりが召される夜、目に見、耳に聞いてくやしがらせた恨みのせいもあったか、からだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へさがっていがちということになると、いよいよ帝はこの人にばかり心をおひかれになるというごようすで、人がなんと批評しようとも、それにご遠慮などというものがおできにならない。ご聖徳を伝える歴史の上にも暗い影のひとところ残るようなことにもなりかねない状態になった。高官たちも殿上役人たちも困って、ご覚醒になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどのご寵愛ぶりであった。唐の国でもこの種類の寵姫、楊家の女の出現によって乱が醸されたなどと陰ではいわれる。今や、この女性が一天下のわざわいだとされるにいたった。馬嵬の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深いご愛情だけをたよりにして暮していた。
话说从前某一朝天皇时代,后宫妃嫔甚多,其中有一更衣,出身并不十分高贵,却蒙皇上特别宠爱。有几个出身高贵的妃子,一进宫就自命不凡,以为恩宠一定在我:如今看见这更衣走了红运、便诽谤她,妒忌她。和她同等地位的、或者出身比她低微的更衣,自如无法竞争,更是怨恨满腹。这更衣朝朝夜夜侍候皇上,别的妃子看了妒火中烧。大约是众怨积集所致吧,这更衣生起病来,心情郁结,常回娘家休养。皇上越发舍不得她,越发怜爱她,竟不顾众口非难,一味徇情,此等专宠,必将成为后世话柄。连朝中高官贵族,也都不以为然,大家侧目而视,相与议论道:“这等专宠,真正教人吃惊!唐朝就为了有此等事,弄得天下大乱。”这消息渐渐传遍全国,民间怨声载道,认为此乃十分可忧之事,将来难免闯出杨贵妃那样的滔天大祸来呢。更衣处此境遇,痛苦不堪,全赖主上深恩加被,战战兢兢地在宫中度日。